探花。

日本で花と言えば桜。
もう散ってしまいました。

桜の樹の下には屍体が埋まっていて(梶井基次郎)、桜の森の満開の下は怖ろしいもの(坂口安吾)。
そして春は馬車に乗ってやってくるのです(横光利一)。
日本近代文学的にはそんな感じ。

さて、中国では花と言えば牡丹。
日本ではGW頃が見ごろですね。
牡丹で有名な長浜の総持寺は一度だけ訪ねた事があります。
ちょうど息子が石内先生に将棋を習い始めた頃です。

井伏鱒二の超訳「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」。
かっこよすぎ。
そりゃあ寺山修司も惚れ込みますよ。
原典は唐代の詩人于武陵の「勸酒」ですが、日本人だと桜の情景になりがちですね。

            于武陵「勸酒」
勧君金屈巵   君(きみ)に勧(すす)む 金屈卮(きんくつし)
満酌不須辞   満酌(まんしゃく) 辞(じ)するを須(もち)いず
花発多風雨   花(はな)発(ひら)けば 風雨(ふうう)多(おお)し
人生足別離     人生(じんせい) 別離(べつり)足る

花と言えば、私はこの詩を思い出します。
「白頭を悲しむ翁に代わる」劉希夷
友人に会いに15時間以上かけて西安から成都に向かう列車の中、「唐詩選」の文庫本でこの詩を読んでました。
15時間かけて会いに行った友人に、将棋教室から数分の距離に居ても今はもう会いに行けない皮肉。

有名なのはこの対句部分。詠まれた場所は長安ではなく洛陽です。

年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。
(年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。)

訳: 来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲くけれども、
年が経つごとに、それを見ている人間は移り変わっていく。

若い時はふーんという印象でしたが、歳をとるとこの句の味わい深さが増していきます。
日本にいると桜を見ながらそれを感じるわけですが。
あと何回この桜を見られるのか…とついつい考えてしまいますね。

ところで、奨励会のような厳しい世界の話を聞くと、中国の科挙のようだと思う人も多いんじゃないでしょうか。科挙とは隋時代に始まった官吏登用試験制度。
唐代伝奇小説には、科挙の試験を受けに都にやって来て、なかなか合格出来ずに身を滅ぼすお話があります。エリート候補生たちですから、きっと誘惑も多かったのでしょう。

科挙の合格発表は春で、合格者たちを祝う宴が開かれます。
その年の合格者で最年少の者が「探花郎」と呼ばれ、長安城内の名園をあちこち訪ねて、一番美しく咲いた牡丹を手折ってきて披露するというのがその役目だったそうです。
宴が終わると一同馬に乗り、牡丹の出処を訪ねて花を観賞して回りました。
唐代の牡丹の時期には、お屋敷を開放して自慢の牡丹を自由に公開する風習があったとか。

愚息は今回、幸運にも最年少で小学生名人戦決勝大会に進みました。
ちょうど牡丹の時期ですし、おっとこれはまるで「探花郎」じゃないか!息子を「探花郎」と呼ぼう!と喜んでいたら、落とし穴が。

北宋時代になると「探花」は3位を表したとか…

縁起が悪いので「探花郎」とは呼びません。

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