父を尋ねて半日。

昨日、大阪のとある指導者の方とLINEでやり取りしていました。
先生のお父様が非業の死を遂げられたことをお聞きし、胸が痛みました。

その直後、知り合いに用事があって電話をすると、お父様が亡くなられて今日が初七日だと。

私も父のことを思い出さずにはいられませんでした。
実は自分が父親に会ったのは20年前に数回だけ。
電話でちょっとした言い争いがあって、再会後すぐに交流が途絶えていました。
父はすでに丸岡で別の家庭を持っていました。
そのお宅に2度ほど行ったことがあり、記憶を辿って尋ねてみることにしました。
息子を一度会わせたいとは思っていましたし、NHKに出ることも伝えたら喜んでくれるかと。

だいたいの場所に着き、その辺にいた方に聞いて父の家が見つかりました。
断片的な情報からすでに引越したことが分かり、現在住んでる方からは事故で亡くなったようだと聞かされました。
父とは疎遠だったので共通の知人もおらず、引越先も不明。
役場に電話して事情を告げると、従前戸籍を辿って調べるしかないだろうとのこと。
自分自身の戸籍から父の戸籍に辿り着けば、その親戚の情報も得られるかもしれないとのことでした。

地元の町役場に行くと幼馴染が担当で、彼も似たような境遇なのでこちらの用件をすぐに察してくれました。
自分の従前戸籍を持って、坂井市役所丸岡支所へ。
ここは丸岡将棋クラブの活動場所で、坂井市の将棋大会が頻繁に開かれる高椋公民館の隣。
同じ敷地内にあります。
電話で話した担当者の方が親切で、速やかに戸籍を辿って下さいました。

父は既に亡くなっていました。
父の命日はこのブログを始める4日前、息子がお隣の高椋公民館で初めて一般大会C級で優勝したまさにその日でした。
父の戸籍の情報によると、その日の未明に亡くなり、父のお姉さんがその日のうちに死亡届けを提出していました。
私が息子の大会に付き添っていたすぐ近くに、伯母が父の死亡届けを持って来ていたということです。

正直なところ、父とは数回しか会っていないので、当時も情はわきませんでした。
特に恨みもありませんでしたが。
ゆうやが丸岡のクラブに通い始めた頃に会いに行ってたら、最晩年にしばらく交流できていたようです。
父の運命もそこで変わっていて、もう少し長生き出来たかもしれませんね。

戸籍を辿って、一度だけ家に招いていただいた伯母の家を探しました。
すごく知的で優しい印象の人だったので、もう一度会いたいとずっと思っていました。
住所近くで最初に声をかけた相手がたまたま伯母でした。
近くにいた伯母の息子さん(自分にとっては従兄弟ですね)に父の晩年の詳しい話を聞きました。

父は病床で私にすごく会いたがっていたらしいです。
父の家庭にもいろいろ事情があって、寂しい最期だったとか。

不義理をしてしまいました。
連絡をくれていたら息子を連れてすぐに会いに行っただろうと思いますが、それはもう叶いません。

伯母さんを乗せて数キロ離れたお墓のところまで行きました。
よく通る道の脇にその墓地がありました。
父の生まれた家は跡継ぎがいないのでずっと参ってやってほしいと、伯母に言われました。

伯母たちに息子の将棋の話をしたところ、衝撃的な事実が分かりました。
地元棋界でかつて活躍していて全国優勝の経験もある某女流が、親戚にあたるということ。
父の死亡届けを出したもう1人の伯母のお孫さんらしいのです。
つまり、ゆうやにとっては血縁があるハトコです。

将棋からは離れてしまっているようですが、いつかお会いできたらいいなと思っています。

父を尋ねて半日。」への1件のフィードバック

  1. 父の命日が11/22(いい夫婦の日)だとは…

    父の複雑な戸籍を判読してたら、初婚の入籍日がクリスマスイヴだったり、ちょっとここで書けない時系列があったり、笑うに笑えない…

    生前、酒でもいっしょに呑みながらつっこんでおけばよかった…

    父はステップファミリーで失敗した。
    夢がないなあ…

    戸籍から自分のルーツが高椋村にあることを知った。
    知らない間に将棋を通じて高椋公民館に辿り着いていたことは不思議な気がする。

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