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ヴァレリーと将棋

ポール=ヴァレリーはフランスの知性とも呼ばれる詩人であり、文筆活動は多岐に渡ったらしい。

「相対性理論を最初に理解した詩人」とも言われているそうです。
私はヴァレリーの名は知っていても詩を読んだことはなく、
ヴァレリーと聞けばビバリーヒルズ青春白書の主役ブランドン&ブレンダの幼馴染バレリーが真っ先に思い浮かびます。
自分はそんなレベルです。

今年の冬、出典もよくわからない彼の言葉に心をうたれました。
ヴァレリーが示したと言われる「詩」の定義です。

「詩は音と意味との間のためらいである」

カッコいいですね。フランスの知識人らしいです。
こういう必殺技くさい言葉を放てるのが本物の知識人でしょう。
この定義自体が詩的です。

冗談はさておき、

この言葉と出会ったのは、詩の定義について調べていた時。
小学校で「詩を書きなさい」と言われても、詩がなにかよく分からなかった思い出が。
短い文節で改行を繰り返していきリズムに乗った文章が韻文と呼ばれ、詩の形式とされます。
韻文=詩とされますが散文詩というのもあって、いまいち定義が曖昧。

ヴァレリーの詩の定義は形式ではなく内容についてのもので、なんとなくスッキリさせてくれます。

記号学的に言い換えると、

「詩はシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)とのためらいである」

将棋においては、指した手がシニフィアン(記号表現)であり、その手の意味(想い)がシニフィエ(記号内容)でしょう。
この「ためらい」を将棋に例えれば、指したい手が決まったはずなのに、駒を持って指そうとするのにためらってしまう状態。
つまり手離れが悪い状態が象徴的でしょうか。
たいていは、盤上ではなく指す前に脳内でためらいが起きているわけです。
手離れが悪いのはマナー違反ですから!

ソフトはためらいません。
心がないので。

一方で、ソフトが放つ常人の理論から外れた意表の一手は、詩的とも言えるんでしょうね…

母語と母国語の違い

皆様は、母語と母国語の違いをご存知ですか?

この違いが、将棋の上達法(学習法)の違いにも当てはまるんじゃないかと常々思っています。

違いをご存知ない方も多いと思いますので、
こちらのページ「日本語とチカラ」を足がかりに、興味ある方はネットで調べてください。

さらに興味がある方は、この本で。

駒落ちの指導対局を繰り返すことは、まるで母語を習得するような過程なんだと思います。
棋譜並べも母語習得に近いような気がします。

定跡や戦形を書籍などで学ぶのは、アナウンサーが放送用の言葉遣い(母国語の一種)を訓練したり、外国語の学習に近いのでしょうか。

初心者がソフトを使っての将棋の学習は、母語を身に付けるようには上手くいかないと思います。

それはなぜか?
ソフト側に、伝えようという意思や愛情が無いからです。

どうぶつ将棋、きょうりゅう将棋、そして…

どうぶつしょうぎ

 

 

 

 

 

きょうりゅう将棋

 

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイソン将棋!

丸山九段のCM!

丸山九段は固形のカロリーメイトをモグモグして有名になったわけですが(笑)

おまけ
満島ひかりさん。

さらにおまけ
米米と言えばコレしかないでしょう。
若き日、山口県岩国市のダンスパブ「shake hip」で、ダンサーかず君が教えてくれた「シュールダンス」。

さらにさらにおまけ
花粉症を吹き飛ばせ!

将棋の神様

「将棋にはそれはそれは綺麗な神様がいるんやざ」
と亡くなったばあちゃんに言われたわけではありません。

でも、私には将棋の神様がいるとしか思えない出来事が続いています。
こんな風に、神がいないと説明がつかない!的な論法は、「否定神学」と呼ばれ批判されることも多いです(笑)

確率的には低いけれど起こりうることで、それがたまたま身近に続いて起きると偶然とは思えなくなります。
将棋の神様を信じても、過激な新興宗教のように社会との摩擦を起こすことはないでしょうから、ここはひとつ皆で神の存在を信じてみようではないか!

将棋の大会などで望外な結果が出たら「神様からのご褒美」「神様のイタズラ」と思いましょう。
それが平和です。
残念な結果だったら、「神様からの試練」「神様のブラックジョーク」と。

ちょっとズレますが、神と言えば天国と地獄。
私が中国に滞在し始めた頃に中央電視台(CCTV)のゴールデンタイムで始まった「北京人在纽约」(直訳:ニューヨークに居る北京人)というドラマ。
おそらく中国のドラマ史に残る名作で、街には人民服のおじさんたちがまだたくさんいた頃に、ニューヨークを舞台にした、あか抜けたドラマが突然お茶の間で放送されたのです。
それはそれは衝撃でした。

主演の姜文(チャンウェン)は、後に俳優としても映画監督としても成功しました。反体制派とされて不遇な時期もありましたが。

冒頭、素敵なOP曲の前に、姜文の声でこんなナレーションがあります。

あなたがその人を愛しているならニューヨークに行かせなさい。
そこは天国だから。
あなたがその人を恨んでいるならニューヨークに行かせなさい。
そこは地獄だから。

このナレーションを剽窃させていただきます。

あなたがその人を愛しているなら将棋を指させなさい。
そこは天国だから。
あなたがその人を恨んでいるなら将棋を指させなさい。
そこは地獄だから。

良いこと言ってるような、そうでもないような(笑)
「人」を「子」に変えると、かなりコワイ。

すべては花粉症のせい。

9.11で崩落したツインタワー(ワールドトレードセンタービル)がまだそびえ建っていた時代です…
曲といい映像といい、25年前の中国ドラマとは思えないでしょ?
時代的には、サッカーのドーハの悲劇の頃です。

心の中にデヴィ夫人を住まわせていると、大抵のことは穏やかに受け流せるらしい

勝った負けたで右往左往してしまう我々将棋親は、心にデヴィ夫人が必要なのかも。
将棋親向きのライフハックかも知れません。

かく言う私の心には、ドラマ「カルテット」の2話までしか登場しなかった九條結衣さんが心に棲みついています。

大丈夫ですか?

やや性的なシーンがあるので詳しい説明ができないのが残念ですが、カルテット2話は至高です。
「早朝のベランダでサッポロ一番」のシーンは、芥川「舞踏会」の「ヴィのような花火」と重なります。究極の詩的精神が表現されています。

大丈夫ですか?

ドラマ中、九條さんの言い回しは脱力していて魅力的だった。

「はいはい、あきらめますよ〜」
「そりゃあ、しますよ」
「お腹すかない?」
「それはそれで、美味しいんだよ」

きっと、観たら解ってもらえるはず…

結論:心に住まわせるなら、デヴィ夫人よりもさらに九條さんがおススメです。

ちょっと思うところ

教室を運営していく上では、我が子への熱い思いだけで動いてしまう親、我が子へ過干渉の親は百害あって一利なしと思っています。
あくまでも個人的な意見です。

過干渉の親=我が子の才能への期待が大きい

という気がします。
親のタイプを、「見守り型」と「干渉型」、子のタイプを「自信過剰型」と「謙虚型」に分けると組み合わせは4通り。

———————-<親>—————<子>—————-
・Aタイプ…「見守り型」×「自信過剰型」
・Bタイプ…「見守り型」×「謙虚型」
・Cタイプ…「干渉型」×「自信過剰型」
・Dタイプ…「干渉型」×「謙虚型」

昨日、某クラブで見た新人の子はAタイプ。
確実に棋力を伸ばすのはBタイプ。
モンペ事件はCタイプ。
今回のトラブルはDタイプ。

本音を言えば、皆さんBだったら教室は平和です。
ただし、そんな均一な世界は面白くないというのも事実。

皆さんはどのタイプでしょうか?
当教室で強くなっている子の親御さんは、皆さん「見守り型」だと思います。
ご自宅でどうなのかは存じ上げませんが、それは各ご家庭の方針ですので。

子どもを上達させたいなら、親は「干渉型」から「見守り型」へシフトしていくべきだし、周りの大人たちが協力して、子ども達が謙虚になっていくような指導が大事だと思います。

新規入会者には、この話を最初にしていこうと思います。

親御さんとご相談し、お子さんたちが着実に上達できるように、それぞれの子に合わせた指導法を工夫していきたいですね。

フィギュアスケート男子から学んだこと

金メダル羽生結弦君から学んだこと。
「難易度の高いことに、リスクを冒してまで立ち向かう必要はない」

フリー1位ネイサン・チェンから学んだこと。
「リスクを冒して挑戦すれば、周りの人々を感動させられる」

銀メダル宇野昌磨君から学んだこと。
「何も考えないことが、良い結果につながる」

リバーズ・エッジ

昨日はMステでオザケンとコラボするのが誰か気になり、気もそぞろでした。
ネットではサプライズゲストは満島ひかりさん説が。
銀杏BOYZの峯田君でもいいなと思ってましたけど…

テレビの前で正座して待った甲斐があり、満島ひかりさん登場。
グリーンのドレスが鮮やかでお美しい。

ここのブログでも以前触れたNEW屋形船バージョンの「ラブリー」は短く、昨日公開の映画「リバーズ・エッジ」主題歌「アルペジオ」にガッツリと満島さんが参加。
「アルペジオ」は「リバーズ・エッジ」の原作者でオザケンの親友岡崎京子さんに捧げた曲。

オザケン復活の賛否を忘れるほど、満島さんのユーティリティプレイヤーぶりに感動でした。
何にでもなりきれる稀有な人だ。
(実写版「ど根性ガエル」でぴょん吉の声までこなせるんですから!)

演奏前にオザケンが、
「昔、漫画がすごかったって言われるけど、そうじゃない。今もすごいです。今は描いてないですけど、岡崎京子さんって今もすごい人です」
と。

泣かせないでよ。

岡崎京子さんをよく知らない方へ。

今日は、積ん読だった「リバーズ・エッジ」を読むしかなかった。

煌めくシーンはなく淡々と進むストーリー。
結構エグいシーンが多いわけですが、それでも淡々と。
残念ながら時代感を共有するのは難しいけれど、読んでおかないといけない作品の一つですね。
(テレビでウゴウゴルーガがやってた頃か…)
内藤陳 風に言えば「読まずに死ねるか」。
古いか…

ずっと「River’s Edge」じゃなく「Reverse Edge」と思い込んでました…

さて、映画「リバーズ・エッジ」の主演は二階堂ふみさん。
宮崎あおいさんと激似なので、どう区別したらいいのかネットで話題です。

私が思うのは、昭和風アパートが似合うのが宮崎あおいさん。
自分のこの説は映画「ソラニン」を観た時に確立しました。
「顎が向かって左に歪んでる人が美人とされることが多い」という自説と共に強く信じています。
証明できれば、どちらもイグノーベル賞物でしょうか。
「おおかみこどもの雨と雪」では、声優としても昭和アパートとの親和性が発揮されましたね。
たしか「舟を編む」でも…

CCTV春晩2018

春節です。旧暦のお正月です。
昨夜はCCTV(中央電視台)で恒例の「春晩」が放送されました。
日本の大晦日恒例の紅白歌合戦のようなものですが、
ここ最近は想像を超えたスケールのイベントとなっています。
どれが現実でどれがAR?CG?さっぱり訳が分かりません。
未来がそこにあるという感じでしょうか。

これが国力の差というものなんですね…

近年はニコニコ生放送やyoutubeでもライブ配信されています。

昨夜は、台湾のF4(花より男子の台湾版で有名に)の2人、ヴィック・チョウとジェリー・イェンが出演したのがやや驚きでした。花澤類と道明寺ですね。
ヴィック・チョウの近くに、つくし役だった大S(バービー・スー)に似た女性が居たのですが、胡可さんという別人でした。似過ぎです。
38:48〜「年夜飯」というお正月らしい曲で、ヴィック・チョウと香港の人気女性歌手ジョイ・ヨンがペアになっていました。二人とも若手のイメージでしたが、いつの間にかベテラン歌手の風格が。
ジャッキーチェンの他、香港・台湾の明星が多数出演。
いつも前日あたりまで出演者情報が錯綜するらしく、マギー・チャン出演の噂もあったらしい。

日本も他人事ではない中国の国策「一帯一路」アピールが至るところに。
こういうところが、やはり社会主義ですね。
相声(漫才)では、即興で漢詩作りをするというネタがありました。
どんどん詩のお題がシルクロードを西に行くという知的な笑いで、「西安」から始まりしまいには「カザフスタン」が漢詩のお題になるという。一帯一路ネタと言っていいんでしょうね。
私レベルの中国語力と漢詩の知識では全くついていけませんが、会場は大爆笑。
こういうのが本当の意味での「文化」なんだろうと思います。

雰囲気だけでもお楽しみください。(字幕有り)

詩の中に数字の「一」を数多く入れる勝負では、台湾の人気歌手、周華健の「朋友」という歌の歌詞をパクってますね(笑)「朋友一生一起走那些日子不再有一句話一輩子一生情一杯酒」
ちなみに周華健は90年代に、日本の曲「花〜すべての人の心に花を〜」をカヴァーした「花心」が、大陸で大ヒットしました。また彼のチャゲアス「男と女」のカヴァーは、「夏日未了情」という香港映画(ベタなひと夏の恋系作品)のクライマックスでとても効果的に使われてました。

さて、たくさんの演目中やはり最高だったのは王菲(フェイ・ウォン)と那英(ナー・イン)の20年ぶり春晩での共演。二人は大親友であることが有名です。
王菲は説明が不要ですね。
那英は大陸を中心に活躍し、たしか最近はスター発掘番組の審査員にもなっています。
ややボーイッシュな声が特徴的で、私は彼女の「霧里看花」という曲が大好きです。

王菲の武道館コンサートでは、持ち歌以外に那英の曲「夢醒了」を歌ったのがとても印象に残っています。この曲の2人のデュエット動画もyoutubeにありますね。(別音源を誰かが合成した模様。)

春晩2018「歳月」

春晩1998「相約一九九八」

「夢醒了」

プルシェンコと息子@バンクーバー五輪


平昌五輪が盛り上がってますね。
8年前のバンクーバー五輪時の、息子とロシアのプルシェンコとの記念写真(笑)です。

上記写真の半年後、サンドーム福井のファンタジー・オン・アイスにプルシェンコが来ました。
羽生結弦君もシニア転向直後のタイミングで出演していましたね。
ちょうど3.11の半年前です。

アイスショーはなかなかチケットが高額なのですが、若い頃カタリナ・ビットの演技を見てフィギュア好きになってしまった私は、せっかくの機会なので奮発して観に行きました。
(忘れもしません。受験前日に、カタリナ・ビットの演技を赤いベルベットの椅子が並ぶ大阪のタコ焼き屋のテレビで見たんですよねえ…カルガリー五輪でした。)

幼児は無料だったので、まだ2歳だった息子を連れ昼の部に。

その日は面白いトラブルが。
ジョニーウィアーが演技中にペンダントを無くし、イベントは中断。
出演者が全員出てきて氷上にしゃがみ込み、失くし物を探すという珍しい光景が。

なかなかペンダントが見つからない中、プルシェンコが会場を盛り上げようとリンクの縁で4回転ジャンプの連続。
会場を大いにわかせました。

さすが皇帝プルシェンコ。

フィナーレの華やかな演出に酔い、終演後に気持ちが高まってしまいました。
会場を出ると、すぐに夜の部の当日券売り場の列に並びました(笑)

イベント中、会場の後ろの方で息子のオムツを替えたのも良い思い出です。
このイベントの2週間後に元妻が家を出て行くとは思いもよりませんでした。
それも今となっては良い思い出です。

さて、明日はいよいよ男子のSPですね。
羽生君が気負いすぎてる感じが気になりますが、宇野君は確実にメダルに絡みそうです。

個人的には来週の女子に注目。
宮原さんには、ただただミスなく滑りきってほしい。

楽しみなのは、ショパンのノクターン20番(遺作)に乗せたメドベージェワのSP。
団体戦でのあの名演の再現なるか…ですね。
持論ですが、やはりフィギュアはロシア勢が強いと盛り上がります。
バレエの伝統に支えられた「美」は、揺るぎないものがありますね。

ちなみに浅田真央さんの悲劇的なソチ五輪のSPは、ノクターンの2番でした…

ノクターン=夜想曲、解説を読むとさらに味わい深く感じます。
不勉強でノクターンの1番すら聴いたことがなかったのですが、いきなり素晴らしい。
何もかもがどうでもよくなります。

ショパン・ノクターン(夜想曲) 全21曲

高橋大輔さんとも記念撮影。

6七キャラメル。(ドラマ「woman」より)

「待った」の後に「6七キャラメル」。

5年ほど前の坂元裕二さん脚本ドラマ「woman」の冒頭。
都電ホームでの印象的なボーイミーツガールから、古書店でのホンワカした対局シーン。

小春(満島ひかり)がこんな事を語りながら、玉頭に駒を打ち王手をかける。(二歩っぽいんですが…)

「こどもの頃、人が死んだらどうなるのかなあと考えたら止まらなくなって。
大人に訊いたら星になったんだって言うの。
星になるわけないって思って、人間が。
結局考え至ったのが、人は死んだら消えて無くなるんだって…」

そこで信が間髪入れず、
「待った」
と言い相手の手は戻さず、小春の玉頭にそっとキャラメルを置くのです。

優しく「人は死んでも消えてなくならないよ」と言ってるかのように…
「いっしょに答えを見つけよう」というプロポーズだったのかも知れませんね。


話が進むにつれ、キャラメルが信(小栗旬)の壮絶な少年時代に「希望」の象徴だったことが明らかになります。
この後の展開が強烈すぎて忘れ去られそうな対局シーンですが、この「待った」には重要な意味があったわけです。

回想シーンでは結婚前、冒頭シーンとは別の対局中にこんな会話も交わされています。

「どうして山に登るんですか?」
「読書と同じです。最後のページに書いてある答えを知りたいんです。」
「なんの?」
「生きている。」

そう言えば、ロマンチックコメディの金字塔「恋人たちの予感」では、ビリー・クリスタル演じるハリーが、
「僕はいつ死んでもいいように物語の結末を先に読む。」
と言ってメグ・ライアン演じるサリーに呆れられたシーンは有名ですね(笑)

最終話の回想シーンで、彼が導き出した答えが妻となった小春に日常のワンシーンで語られます。
長女が産まれ、小春のお腹には二人目が。

これがまた子を持つ親には響きまくる名言なんです。

ぜひ本編をご覧ください。
ネタバレはこちら

小栗旬演じる信の好青年ぶりは、小春じゃなくても惚れるだろうと。
信のように生きたいものだと、心から思います。

ドラマ中、随所に将棋が登場します。
満島ひかりさん演じる小春は、幼い頃ピアノ教室をサボって公園で大人と将棋を指し、将棋好きの父親の相手をして強くなったという設定。
ストーリー中、升田幸三先生の自伝があらわれた時は思わず爆笑しました。

「anone」で視聴率は苦戦中の脚本家坂元裕二さんですが、
私にとってこの「woman」は「カルテット」を超える人生のバイブルになりました。

最終話の回想シーンに現れた相振り飛車の将棋は、2人の服装や小春の髪型が違うことからドラマ冒頭とは別の日だと分かります。
盤の周りの整い方や二人の話し方から、ドラマ冒頭の対局シーンよりも時系列的に前のような気がしますね。相振り飛車の対局では、駒箱を駒台にして丁寧に持ち駒を並べたり、小春の装い(髪型や服装)、二人の会話や態度も初々しいような。知り合ってからまだ間がないような雰囲気が漂っています。
この辺りの細かい演出が素晴らしい。

2人は古書店で将棋デートを繰り返した?
よく見返すと冒頭では小春がエプロンをしてお客様を見送っているのが一瞬映り、相振りの時は膝に古書が何冊も乗っかっているので、ここは小春のバイト先で仕事の合間に一手ずつ指していたということですね。

大都会東京にはこういう店もあるのかと調べてみると、撮影に使われた古書店は荻窪にあります。
店内で対局できるかどうかは分かりませんが(たぶん無理)、荻窪将棋サロンとは駅を挟んだちょうど反対側にあるようですね。

いつか聖地巡礼したいです。

小春はかなり将棋が強いという設定ですが…
この局面、ツッコミどころが多いですね(笑)
なぜ香得できたんだろう…

ドラマのテーマである「円居(まどい)せん」。
遠き山に日は落ちて」の最後のフレーズです。
(ドヴォルザーク「新世界より」第2楽章 家路)

円居せん。美しい日本語ですね。
ああ再婚したい…

聖夜ですよね…

世界中の誰も読まなくていいです。

昨日は教室の後、仕事の打ち合わせに駅前のレザークラフト屋「ニードル」さんに。
息子ゆうやが生まれる前にはよく通っていたのですが、おそらく4、5年くらい振りに訪ねました。
御主人はとても腕の良い職人さんでしたが亡くなられ、今は奥様が店を継がれています。
無理な急ぎの依頼を快く引き受けて下さいました。
打ち合わせの間、ゆうやはお隣の手芸屋さんで作業中のおばさま方と楽しく交流。

その後、西武前のイルミネーションで記念撮影。
浮かれ電飾とは違うプロのお仕事。素晴らしい。「浮かれ電飾」に対し「ど電飾」とでも呼ぶべきか。

ここで素直に帰ればよかったのに、食レポ第2弾でも…と魔が差し、馴染みのカフェに立ち寄ったのが悲劇の始まりでした。
特定されないよう名は伏せますが、すぐにバレますね。

そのカフェが今の場所に移転する前もその前も知っていて、移転する際は別の候補地を経営者ご夫婦と一緒に見に行ったような間柄です。
最初はかなり経営的に苦労されていましたが、偶然某全国的メディアに取り上げられ、それがきっかけで知名度がアップし人気店になりました。
私が親権問題で辛い時や離婚後の焦ってばかりいた頃には、仲睦まじいご夫婦を見て何度癒されたことか。幸せをやっかむ気が起こらないほど素敵なご夫婦でした。

来たのはたぶん3年ぶりくらい。自分の引きこもり期間の長さに驚くばかりです。
カウンターでマスターと世間話をしていると、
「実はうちもいきがかりさんと同じになりまして…」と。

太川陽介的何かが云々。

自分にとっては彼ら夫婦が仲良く居てくれないと、「幸せな夫婦」のイメージが掴めないのです。
やってられませんね…
神はいないのでしょうか…

その後はなぜか気分がハイになってしまい、南商店街の重鎮でバブル時代の駅前夏祭りに「ギャルみこし」というたいへん破廉恥な企画を毎年主導していたT口さん(古希には見えないダンディーなおっちゃん)を呼び出して、よもやま話。

T口さんの企画で某郊外型ショッピングモール内に期間限定ショップを出した人々は、軒並み不幸になっています。うちのショップはそこで最後の1店舗になるまで戦い抜きました。(笑)
その時のうちのショップの店長の長男とゆうやが、まなびサイトの初期メンバーなのです。

それはさておき、そのお店ではT口さんを中心に哲学を語る会が定期的に開かれてるらしい。
ならば「ギャルみこし」を哲学的に語ってほしいものだ。
最近はソシュールを読んでるとか言い出したので、学生時代に研究室でお揃いのソシュールTシャツを作った私としては黙ってはいられない。
そのソシュールTシャツは、前面はソシュールの横顔を印刷。多くの人に夏目漱石と間違われました。

背中には「Nasty Boys」という文字。
その頃メジャーリーグのレッズに豪速球投手が三人居て「NastyBoys」と呼ばれていたから。
まったくソシュールとは関係なし!

しかし彼らはどうもソシュールを曲解しています。
ソシュールは別に人生を語ったりはしていない。記号学の祖です。
晩年何かをこじらせ、引きこもってアナグラム研究をおこなったあたりはオカルト的でアツいのですが。
とりあえずマスターには、記号学の基本的な概念のシニフィアンとシニフィエ、ラング・パロール、ランガージュについて説明しましたが、伝わらない…
分かりやすく伝えるために、彼の別離の原因となった事象を例に説明したらどうかと悪魔の囁きがありましたが、殴られそうなのでやめました。

「この世は嘘とインチキばかりで出来ている」
昔中国滞在中に部屋が隣だった、韓非子に詳しいJICAのお姉さんに言われました。
そのJICAのお姉さんが帰国する際、旅行中だった私の部屋の鍵を中国人の服務員さんに頼んで勝手に開け、果物の瓶詰めやインスタントコーヒー等の空になった瓶を30個くらい室内に置いて行ったのが未だに謎です。
誰かこの謎を解いてほしい。
もしかしたら「韓非子」に答えがあるのかも知れない…

真実は盤上のみ!
本気でそう思う今日この頃です。

今年は、うちのサンタはお休みです。
サンタも悩みが多くプレゼントどころじゃないらしい。

皆さまメリークリスマス!

この時期はクリスマスソングを。「RIVER」

ジョニ・ミッチェルの名曲「RIVER」。

サラ・マクラクランのカヴァーと、ドラマ「アリーマイラブ」でロバートダウニーJr.が離婚で別れた息子を想って歌った名シーンの動画です。

いきがかりさんはこじらせてるので、クリスマス前のこの時期にぴったりのこの曲を皆さまに。

歌詞の日本語訳はこちら
曲調は美しいバラードですが、残念ながらハッピーソングではないんですよねえ…


おまけ


サラとGwenちゃんと満島さんの歌声があれば、侘しい聖誕節も乗り越えられる。
疑いなく。(No Doubt)

Thought I was done for, thought that lovehad died.
But you came along, I swear you saved my life.
I wanna thank you, baby
You make it feel like Christmas
.

僕はもうダメだと思ってた 愛は死んでしまったと思ってたんだ
でも君が現れた 君が僕の人生を救ってくれたんだ 本当だよ
君に感謝したいんだ
君といるとクリスマス気分になれるから

(全訳はこちら)
クリスマスソングのスタンダードになりそうな素敵な曲ですね。

オザケン復活には以前から注目(笑)していたわけですが、
クリスマス前に満島さんとのデュエットが発表されるとは!
胸がかきむしられますね。

さらにオマケ

すべてが神です。
が、タランティーノは評価しないだろう。

ポニーMさんご来訪。

高校時代の学年一のマドンナ、ポニーMさんが教室見学?にいらっしゃいました。
川井社長の奥様は彼女のことをよくご存知でした。
遠い親戚と判明したゆうやに会いに来て下さったのですが、残念ながら今日ゆうやは県外に出張中。

30年の月日が過ぎたとは思えない、マドンナ オブ マドンナ。
可愛げがある女性はいつまでも若々しいですね。
御主人とお子さん達が羨ましすぎます。

手作りワッフルのお土産を大量に持ってきて下さいました。
生徒さん達と美味しくいただきました。
スィーツは人々を笑顔にします。

マドンナをつかまえ、2時間以上悩み相談を。
将棋教室の使用法+マドンナの使用法が間違ってますね。

帰り際ポニーMさんが立ち上がった時、自分の記憶のポニーMさんよりも身長が高く、
「身長何センチですか?」と尋ねると
「個人情報です!」とまるで「禁則事項です!」のような言い方。
なんとなく勘で
「157センチ?」と再度尋ねると、
「私の『生活の記録』こっそり見たでしょ!」
と可愛く言い返されました。当たったようです。
もちろん『生活の記録』は盗み見ておりません。

先日の歌番組で劣化しない森高千里さんを見た時以上の感動を覚えました。
今日から荒馬Nさん派からポニーMさん派に鞍替えです。

自分も真面目な人生を送っていれば、大きな幸せがつかめたのかもしれません…
今からでも遅くないと無責任な人たちは仰いますが。
これでまた不眠の日々が続きそうです。

逃げちゃダメだ。
フォースと共にあらんことを。

表情と玲瓏、そして重慶。その①

この文章は将棋とはほぼ無関係です。

秋に行われた直弼杯将棋大会で、K君のご両親と歌手のフェイウォン&三峡クルーズ話で盛り上がりました。フェイウォンは言わずと知れたアジアの歌姫。
三峡クルーズは有名な長江を下る旅で、私もK君のお父様も重慶から武漢までの船旅を体験しています。

そのフェイウォンが歌うMV。
重慶を舞台にした映画「从你的全世界路过」の主題歌です。
中国にまったくご興味ない方もぜひご覧ください。
なんとなくストーリーがわかるかと思います。
ネタバレはこちら
記事中「成都」→「重慶」の誤りです。

この夜景が美しい街が重慶です。
重慶は山をくり抜いたような立体構造の街。
かつて上海は魔都と呼ばれたそうですが、自分には魔都という名は重慶にこそふさわしく感じます。

そして女性警官(ライチ)役を演じているのが白百何(バイバイホー)さん。
役名が果物の「ライチ」。傾国の楊貴妃が好んだ果物…
この映画の本編を実際に観ましたが、彼女の表情の豊かさに胸を射抜かれました。
中国圏に綺麗な女優さんは星の数ほどいます。
白百何さんのあまりにも自然な表情はまるで玉石のように落ち着いた美しさで、唯一無二。
表情の魅力というものを白百何さんに教わった気がします。
金剛石(ダイヤモンド)のキラキラ感とは違います。
玉石のような輝きこそが「玲瓏」の意味らしいです。
「玲瓏」とは彼女の表情のような輝きなんだろうと勝手に納得しています。

さて、私が重慶に滞在したのはたった3日間。ただ三峡クルーズ船に乗る為だけの予定でした。
重慶到着後すぐに翌日の船を予約し1泊。翌日の乗船時に事件が起きました。
予約時に見せられた客室の写真とまったく違うのです。
過去に1年半中国に住んでましたのでそういうのは慣れてましたが、さすがに我慢できないレベル。
すぐに船を降りてチケット売り場でキャンセルを求め喧嘩していると、ちょっとだけ日本語ができる中国人の若者が間に入ってくれ、翌日の綺麗な船のチケットと交換できました。
劉さんという若者は田舎から出てきていて、近くの土産物売り場で働いているとのこと。
その後彼&同僚の若者たちに誘われて、近くの路地裏で人間関係がよくわからないコミュニティーに混じり夕食。家庭料理が次から次にどんどん出てきました。円卓を囲んでいる老若男女の仲間の中には、ビールをラッパ飲みして騒いでる若い警官もいました。
お金を払おうとしましたが「僕らはもう友達だから!」と劉さんに制止されました。
そしていい感じで酔っ払った我々は、タクシー2台で街に繰り出しました。
美化するなら李白の「少年行」、こっちも近いかな?王維「少年行」。(笑)

20年前の中国はたぶん今よりも危険が多く、私は基本的にあらゆる危険を避けて過剰なくらい安全に行動するのが常でした。中国滞在中、特に旅行中は常に心はファイティングポーズ。
この日は趙さんたち若者と意気投合し、 なぜか勢いに任せて風の吹くまま(笑)

重慶の一番高い場所に行こう!と言われ夜景の綺麗な場所に。
記憶では、上記の映画に出てくるラジオ局のビルの屋上よりもはるかに高い場所でした。
そんな場所なのになぜか洪水の記念碑が。
記念碑には、ここまで水位が上がったというラインが引いてありました。
恐るべし長江…

(つづく)

オマケ
白百何さんの切ない失恋ソング。
「擦肩而过」(すれ違い)
歌心もある人だ。

私の拙い中国語力で超訳すると

「すれ違いは、必然で避けられない。
深く愛し合っている時はそんなことは考えなかった。
愛し合っている時はすべてが幸せで素晴らしかった。
別れようの一言で何もかもが終わってしまった。
そう、すべてはすれ違い。」

てな感じでしょうか?

「幸福的眼泪 是最最温暖的珍贵」
幸せな涙が、何よりも何よりもあたたかくて貴いものだった。
この「最最」(ヅイヅイ)の歌い方が泣かせるのです。

将棋親が街に放たれた。(食レポ:「SnowCafe」)

仕事場を自宅に移してから引きこもりがちだったので、これからは積極的に街に出ようと思います。
ですが外はもう冬ですね…

以前T下君のお母様にお尋ねしてご存知なかった、おそらくご近所にあるはずのカフェを発見しました。
SnowCafe」さん。
シフォンケーキとコーヒーがメインのカフェ。

オーナーの渡辺さんは工学博士で「水」の研究者です。
元々は「雪」を研究されていたとか。だから店名が「Snow」なんですね…
渡辺さんは科学的に美味しいシフォンケーキを研究されていて(冗談ではありません!)、以前とあるカフェでご一緒し試作中のシフォンケーキをいただいたことがありました。
渡辺さんがケーキを作り始めるきっかけになったエピソードは、心温まるけれど哀しいお話。
涙でタブレットが滲んで、この先はとても書くことができません。

偶然知り合いのAさんがはたらいていることを知り、初めてお邪魔致しました。
「荒木新保」という地名が春江の方だと勘違いしていたことにも初めて気づきました。
こんなに家から近かったとは…
この記事は、新潟の杉山さん(スィーツ好き)をピンポイント爆撃する目的です。(笑)

写真はシフォンケーキのプレーンをカスタマイズしたもの。
・バニラアイス・MIXベリー・ブルーベリーソース・粉糖・ホイップクリーム
コーヒーは自家焙煎。
期間限定のクリスマスブレンドとケニアをいただきました。
何もかもが美味しい。完璧です。
Aさんがドリップしたコーヒーを飲むのは何年ぶりだろうか…

古民家を改修した店内は、クリスマスソングが流れてホンワカしていました。
寒い心が癒された気がしないでもないです。
バツイチ子持ちのくたびれたおっさんの心を癒すには、あと何かが足りない。
実に欲張りなおっさんです。

もちろん将棋を指してるおっちゃん達も居ませんでした。

Aさんには、もし将棋を指すならタブレットで!と釘を刺されましたので、みなさまご注意下さい。


スーパーゴールデン回り将棋大会

前もって言っておきますが、この記事は読むに値しませんので読み飛ばしてください。
誰かに伝えたいわけでもなく、ただ書きたいだけなのです。

表題は、自分の人生を狂わせたかもしれない高校時代の黒歴史。
高一の文化祭で、我が囲碁将棋部が開催した競技の1つでした。
各地域のローカルルールを集め競技性を高めた回り将棋、それが「スーパーゴールデン回り将棋」。
ネーミングは、「うる星やつら」に登場したヒーロー「スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアキッド28号」から着想を得ました。
(高文連のK先生、覚えていらっしゃいますか?)

私は誰も成り手がいない部長役を引き受け、その当時もいきがかりで運営していました。
たしか文化祭では、数万円の出展費が学校から支給されました。
このお金をなんとか打ち上げ費用に全額ロンダリングできないか考えた末、以下の作戦に。

・支給された出展費はすべて賞品(図書券)とする。
・囲碁将棋に関係する競技を複数開催し、全競技で部員が上位を独占する。
・ゲットした図書券を換金し、文化祭の打ち上げ費用にする。

覚えている競技は、
将棋、囲碁、はさみ将棋、山崩し、連珠、碁石つかみ取り、スーパーゴールデン回り将棋。

たしか作戦は八割くらい成功しました。
(翌年は碁石つかみ取りのスペシャリストが入部し、ほぼパーフェクト。)

では黒歴史とは何か?
それは文化祭前に起こりました… <つづく>

なぜ突然高校時代の思い出を語り出したかと申しますと…
数日前に横浜に住む高校時代の友人(実は中西さんの幼なじみでもある)宅に同窓会の案内状が届きました。
その中に直筆の手紙が同封されていました。
送り主は同窓会役員の旧姓Mさん。
彼女は高校時代、学年一のマドンナでした。
男子はMさん派とTさん派が主流でしたが、私は少数派のNさん派。
Mさんはポニーのようで、Nさんは荒馬でした…
(上記の黒歴史は、荒馬Nさんに「囲碁将棋部には非協力的にすることに決めたの!」と言われてしまった事件。)

そのポニーMさんにどうしても伝えたいことがあり、友人から連絡先を聞いてメールしました。
30年来の恋心の告白!ではありません。だってNさん派だったし。(しつこい。)

実は、息子ゆうやは彼女と血縁があるのです。
どういう事かは想像してください。簡単な話です。
それをMさんに知らせると、たいへん驚かれました。
自分も偶然その事実を知った時には、かなりの衝撃がありましたから。
だって学年一のマドンナですよ!自分は荒馬Nさん派でしたが。(あー、しつこい)
Mさんにもそれを言いましたが、「そこは俺はM派だったと言うべきところでしょ!」と叱られました。
あのポニーがこんなこと言うようになるわけですから、月日の経過は残酷なものですね。(笑)

旧交を温め合い、息子が将棋に頑張ってることを話すとこんな返信が。

「1年9組の隣に囲碁、将棋のお部屋なかった?
お昼休みに、○くんが仲良しさんと楽しそうにしてたのを覚えてます。
才能があるのが羨ましかったです。」

才能云々は彼女の勘違いなわけですが、そういう風景が彼女の記憶に残っていたことに驚きました。
実際は、スーパーゴールデン回り将棋でもやっていたのでしょう…

つい最近、当時を追憶しさらに妄想を広げてある俯瞰した風景が構築されたのですが、それは勿体無いので書きません。
ちらっと、ある人に話しましたが…誤配したかも。

ほら、読むに値しなかったでしょ?

Mさんが近々教室に見学に来ると仰っていて、再会が楽しみです。
たまたまですが、川井社長ご夫妻が懇意にされているお宅に嫁いだそう。
世間は狭いですね(笑)

「誤配」について考える。

人文系の学問に興味がある方でしたら、東浩紀の名と『弱いつながり』『ゲンロン0観光客の哲学』(毎日出版文化賞受賞)『存在論的、郵便的』『一般意志2.0』などの著作は耳にしたことがあるでしょうか?

彼の最近の仕事の重要なキーワードは「観光客」(観光客・旅人・村人の三項図式)と「誤配」。
どちらも寅さん映画の面白さにつながるのですが、残念ながら研究者でも無い私が語り得るテーマではありません。興味のある人は著作を読んでみてください。
寅さんは「旅人」を偽装した「観光客」だと言うのが私の結論で、偶然にも寅さん第9作において我が町でロケされた駅舎(廃線になった永平寺線京善駅)での会話シーンが示唆的です。
(下に動画のリンク、吉永小百合さんがマドンナです。)
旅先では「旅人」(移動し続ける根無し草)を偽装した「観光客」(帰る場所がある無責任な旅行者)。
柴又に帰れば「村人」(共同体に属した定住者)に戻る、それが寅さん。

「誤配」について私見を。
東の師匠柄谷行人は「交通」という概念で、コミュニケーション等根源的な人間の活動について語りました。
自分も学生の頃、柄谷を読み漁りました。
将棋に深く関わるようになった最近は、柄谷の有名な「教える-学ぶ」という図式が将棋の駒落ち指導対局そのものだと感じていました。上手と下手のお互いの非対称的な関係性が、今では手垢のついた感のあるワード「他者」そのものだと。

東は「交通空間」ではなく「郵便空間」を提唱しています。
「郵便空間」では「誤配」(配達間違い)や「遅配」(配達遅れ)が連発する。
そういった配達のエラーをシステムの不完全性として忌み嫌うのではなく、「誤配」すなわち配達の失敗という予期しないコミュニケーションの可能性を希望とみなすことこそがビビッドで人間的な営みである、と自分は理解しています。

将棋を「郵便空間」と見なすと非常にわかりやすく、「誤配」(お互いの勘違い)の連続でもすばらしい棋譜につながることもあり、「誤配」は(感想戦で)事後的に確認し合わないと起きたことすら気づかない。
定跡をなぞり続けるだけの対局では「誤配」は起きないが、定跡を外れるまで新しいことは何も生まれません。

以前紹介した小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」ではまさに郵便による対局(チェス)が行われました。
ミイラとリトルアリョーヒンの哀しい結末はミイラの意図的な愛のこもった「遅配」が生んだもの。
その「愛のこもった遅配」というメッセージの意図は伝わらず、残念ながらリトルアリョーヒンに「誤配」されたわけです。(ややこしい)
この物語においては「誤配」に希望があったのかどうか難しいところではありますが、「誤配」の事例としてとても比喩的です。

そして、寅さんの恋は「誤配」だらけ。
「誤配」の連続で盛り上がり、結局最後は旅に出てリセット。
旅先では「旅人」を偽装しているが本質は「誤配」の種となる「観光客」。
また熱い恋がスタートし「誤配」を繰り返す。
素敵だ。

将棋もネットもSNSも「郵便空間」。

将棋の対局においては多くの場合、指し手の意味が相手に正確には届きません。
勝負の世界なので届かない方が良い場合も多いでしょうが…
またネットやSNSを介すると、真の思いが届くべき人に届かず、相手への思いやり・将棋の普及や将棋界への貢献という強い思いが逆に攻撃ととられることも。

より深く理解しあえれば解決するのか?
たぶん「誤配」を楽しみ受け流す心の余裕が必要なんでしょうね。

「敵は我にあり」でしょうか…

嬉しいことと残念なこと

嬉しいニュースと残念なニュースがある。どちらから聞きたい?
と外国映画の台詞のように書き出してみました。

嬉しいことは、当教室の子供たちがみな熱心でどんどん強くなっていること。
息子が多面指しでは中西六段や田中幸道先生に平手で度々勝利できるようになってきたこと。
もう一つはチャーシーウォーダミィーミィー。(漢語)

残念なことはたくさんありすぎて…
沈黙は金。

だがどうしても告知しなければならないことが一つ…

と勿体つけて、後ほどアップします。
どこまで説明していいのか悩んでいます。

モヤモヤが消え去りました

人類学者と振り返るAIとの激闘史。そしてAI以降の“人間”とは?【一橋大学准教授・久保明教氏インタビュー】 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/kubo_ai
最近モヤモヤしていたことに光が射しました。
大げさか。

中沢新一、フーコー、ニーチェからポケモン、月下の棋士、マインクラフト、ISISまで援用して、人間を置き去りしない現実的な視点で、将棋AIについて語っています。
前提には、久保氏の将棋愛があるのでしょう。

2ページ目では、

現代将棋は、江戸から続く伝統文化としての側面と、昭和初期に確立された公平で熾烈な頭脳スポーツという側面、その二つを独特の仕方で結びつけたものだと思います。

と語り、将棋の二面性を前提に論を進めています。

このブログにも書いてきた「芸事としての将棋」と「競技としての将棋」ですね。
将棋に両面あることを忘れて特に競技だけに偏ることは、非常に乱暴だと実感している今日この頃です。

ソフト研究に身を投じてる千田翔太六段の試みを「翻訳作業」と。
私は常々「人柱」だと思っています。

ひと昔前に人文科学で「他者性」について論考されることが多かったように思いますが、将棋ソフトは人間の「線」の思考とは違い「点」で捉えるあたり、究極の「他者」。「将棋ソフト=他者」との危ういコミュニケーションは、人文科学の美味しい研究テーマになり得ますね。
柄谷行人のように「他者」とは教える-学ぶ関係なのか、立川健二のように「他者」は誘惑しなければいけないのか。そんな20年以上前の発想では、現実は捉えきれないのかも。

易々と翻訳されては「他者」ではあり得ない。

「芸事」「競技」に続く第三項として、「コミュニケーションとしての将棋」について考えていくべきだと思います。

将棋は、文系か理系か

昨年アカデミックな場を中心に、文系の学問が必要かどうかという議論が激しく行われたように思います。
人文知問題で有名なのはソーカル事件。
適当に書かれた人文系のインチキ論文が、なぜか高評価されてしまったという事件です。
文系はエビデンスの要らないテキトーな学問だというイメージがつきまといますが、歴史を辿れば人文知の土台の上に自然科学が乗っかっているということは否定できないかと思います。

さて、将棋について。
「緻密に指し手を読まないといけない将棋は理系向きだ」というのは当たり前すぎてつまらない意見。
もう一歩踏み込んで、「文系的な能力は将棋に必要ないのか?」ということを最近考えています。
将棋を競技としてだけ捉えたら、競技の場では文系的な能力はあまり必要ないのかも。一方、将棋を学んでいく場・楽しむ場においてはむしろ文系的なセンスが必要なのではないでしょうか。

将棋界は一般愛好家が支えていて、競技以外の楽しみも多くあります。
競技以外の場では、何もかもが理系的に割り切れるものではなく、その無根拠性が「文化」と呼ばれる部分だと思います。語義としては、「文化」に対して理系的な実利を備えたものは「文明」と呼ばれます。
競技以外の場でこそ将棋文化が育まれると言うと、言い過ぎでしょうか。

また、囲碁は文系向き、将棋は理系向きという説があるようです。
さらに昨日の囲碁将棋チャンネルの番組では、飯島先生が「居飛車は理系向きで振り飛車は文系向きだ」という説を紹介されていました。

皆さんはどうお考えになりますか?

聖・俗・遊(カイヨワ)と将棋

聖・俗・遊
「遊」について研究した社会学者カイヨワによる三項対立図式です。
文系学生の必読書とも言える浅田彰 大先生「構造と力」でも、たしか触れていましたよね。

「宗教による聖なる空間」と「そこから外れた俗な空間」の二項対立。
仏教では僧で無くなることを「還俗(げんぞく)」と呼びます。

個人攻撃が始まる訳ではないですよ。意識下ではおそらく。(笑)
大河ドラマの井伊直虎も還俗したようです。
坊主ネタではございません。ここから将棋の話。

聖と俗の対立だけではあまりにもスタティック(静的)。
実際の社会はもっとダイナミック(動的)なもの。
聖と俗の単純な二項対立ではすくい取れない現実がありまして、カイヨワは第三項として「遊」を設定しました。

ただの「遊び」では俗に過ぎないわけですが、もっと粋な遊び=浪費ではない有意義な遊び、のことでしょうか。

将棋に適用しますと…
「聖」=競技としての将棋←棋力を高める目的
「俗」=縁台将棋(賭け将棋とか子ども将棋)←ストレス発散?、ギャンブル?
とすれば、「遊」に対応するものは?

「遊」なる将棋とは何か?
自分にとっての興味の中心は、ここなんですよね…
石内先生が仰る「コミニュケーションとしての将棋」とか?
競技とは異質な「芸事としての将棋」?

将棋をコミニュケーションの図式に当てはめると、さらに面白いことが見えてきます。
それはまた次回に。

そうそう、あまり有名ではないかと思いますが、かつてこういう人がいたんですよ。まさに聖も俗も拒否し「遊」に生きた人。

恋愛即興詩人 ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォ

その人生は、なんとなくですが先日空港で非業の死を遂げたあの人とも重なります。

3月のライオン香子役 有村架純の賛否

ネット上では、香子役の有村架純さんだけ原作のイメージに合わないという批判が。

実は何を隠そう、私は3月のライオンの原作を読んでおりません。
有村架純さんが清純派だとも思えませんので、批判の正否はよく分かりません。

同じ羽海野チカさん原作の「ハチミツとクローバー」映画版で、低身長キャラのはぐちゃんを演じたのは身長160cmの蒼井優さんでした。
原作を読まずに先に映画を観たこともあり、当然違和感は感じませんでした。

漫画の実写化といえば、加山雄三のブラックジャック、高倉健のデューク東郷(ゴルゴ13)もありましたし、きっと何だって良いんですよ。

オザケン復活!と将棋

表題に無理があります。

さて、先週のMステで小沢健二さんが復活しました。
自分はまったく小沢健二さんのファンではありませんでしたが、復活を茶の間で生で観ました。歴史の証人になれた気分です。
ネットではオザケンがオジサンに、と話題沸騰。

20年前チャラチャラしてなんとなくその姿が様になっていたオザケンが、オドオドした表情でまったく様になっていない復活映像を観て、ずっと封印していた何かが目覚めました。

そう、自分はたぶん全盛期のオザケンの曲が好きだったのです。流行り物を受け容れない生き方を貫いていた若かりし頃、流行っているというだけでオザケンを認めたくない自分がいた訳です。岡崎京子さんやオリーブ少女達と共にオザケンに熱狂すべきでした。
今改めて聴くと、オザケンは清志郎並みの優れた詩人だと感じます。

 

ネットで衝撃を受けた言葉が、「オザケンは星野源をシメるために復活した」というもの。オザケンファンからは同列に語って欲しくないという批判も。
その延長で、宮崎駿が引退撤回したのは「君の名は」の監督 新海誠をシメるため…という言説まで登場。

さて、将棋からずいぶん離れてしまいました。

オザケンのような渋谷系(死語)の将棋を指したい。

強引すぎ…

オザケンと星野源の年齢に対応するプロ棋士は、中川大輔八段と片上大輔六段。
この二人に繋がるとは、タイムリーですね…

ITSNプロジェクト

将棋の普及の為に何かスローガン的なものをと思い、提案させていただきます。
名付けて

「ITSNプロジェクト」

I…一般
T…大会
S…小学生
N…20人
プロジェクト…計画

県内一般棋戦に小学生を20人参加させようという計画です。
例えば、A級(2段以上)/3人、B級(1級以上)/7人、C級(5級以上)/10人。
もちろん参加するだけでなく、予選通過を狙えるレベルで。

現在は小学生全体で参加者は10人弱です。今年度は6年生の競技者が多いので来年度は一気に小学生が減ります。すぐに20人というのはもちろん無理です。
実はここ最近、低学年の競技者がたいへん増えています。ですので、2〜3年後には当教室以外の生徒さんも含めて、小学生20人以上を参加させることは十分可能だと思います。

小学生の伸び代だと、C級は1年〜1年半で十分抜けられます。
そう考えると、1年に5人ずつC級参加者が増えたら目標は達成できます。

ITSNですが…
I…石内奈々絵先生、T…田中幸道先生、S…??、N…中西六段、中屋六段 という説も。
Sは誰なんだろうか?

坂井将棋クラブで指導してる坂本さん?
あわら将棋クラブの清水五段?
勝山将棋クラブの酒井五段?

川井社長の名前は「三郎」!

抑制の美

稀勢の里が優勝しました。横綱昇進確定のようですね。
彼は勝っても負けても表情を変えないように親方から厳しく指導されていたそうで、白鵬の連勝記録を止めた一番でも、まったく喜びを態度に出さず勝ち名乗りを受けたそうです。負けた白鵬も堂々としていたとか。
まさに勝って驕らず、負けて腐らずの精神です。
稀勢の里が子どもの頃「自分は天才ではない。努力するのみ。」と文集に書いたそうです。立派ですね。
相撲界はとにかく「抑制の美」を大事にするとのこと。
ぐっと抑えるところにこそ、美しさが宿るわけです。

ここまではワイドショーの受け売りです。

小学生の頃、愛知に住んでた親戚のおじいさんが輪島や荒瀬と言った関取のタニマチでした。当時はよほど羽振りが良かったのでしょう。
一度家に関取衆を招いた際、当時関脇くらいの輪島関はひたすら寿司を食べ続けていました。
そんな相撲取りたちになんの興味もなかった親戚の小学生たちは、座敷にあったテレビで「女王陛下のプティアンジェ」というアニメを観ていました。「名探偵コナン」のような謎解き物です。いよいよ事件が解決するという場面で、突然輪島関が無言でガチャガチャとチャンネルを変えてしまいました。それ以来、相撲取りにあまり良い印象を持てずにいます。

脱線しました。
そうそう、「抑制の美」です。

本題ですが、将棋でいつでも派手に駒を盤に打ち付けたり、時計を親の仇みたいにバシーン!と叩く人がいます。
こういうのは対局相手をイライラさせますし、美しさを感じません。
粗野な振る舞いは、将棋に向かう心の表れではないでしょうか。

当教室では将棋が上達するにつれて、なぜか駒音が大きくなる子が増えていくような気がします。個人的には、棋力とマナーは比例してほしいと思います。

やたらと音を立てる行為を「元気があってよろしい!」と黙認すべきなのか、癖になる前に厳しく注意すべきなのか。

皆様の御意見をお聞かせいただけますでしょうか。

昨日お風呂で

息子ゆうやが学校で前髪の長さを注意されました。
なかなか床屋に行く時間がなくて。

「先生に、前髪だけでもお婆ちゃんに切ってもらいなさいって言われた」と。
例のごとく、シングルファーザーでも前髪くらい切ってやれるよと意地になり、お風呂でT字カミソリを使ってカット。

天彦ヘアーにしてやりましたよ。

お風呂と言えば、先日の王将戦で県将棋界の重鎮大滝さんから昔話を聞いている中、「奈々絵ちゃんは弟子なんだけど、あの子は昔から詰将棋が強くてさ、お風呂でも」というところで他の人がやってきて話が途中に。

まさかお風呂でも詰将棋を解いていたのでしょうか?
「野球狂の歌」で、水原勇気が変化球の握りを風呂で練習していたようなものですね。
それくらいやらないとドリームボールは投げられませんね。