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この時期はクリスマスソングを。「RIVER」

ジョニ・ミッチェルの名曲「RIVER」。

サラ・マクラクランのカヴァーと、ドラマ「アリーマイラブ」でロバートダウニーJr.が離婚で別れた息子を想って歌った名シーンの動画です。

いきがかりさんはこじらせてるので、クリスマス前のこの時期にぴったりのこの曲を皆さまに。

歌詞の日本語訳はこちら
曲調は美しいバラードですが、残念ながらハッピーソングではないんですよねえ…


おまけ


サラとGwenちゃんと満島さんの歌声があれば、侘しい聖誕節も乗り越えられる。
疑いなく。(No Doubt)

Thought I was done for, thought that lovehad died.
But you came along, I swear you saved my life.
I wanna thank you, baby
You make it feel like Christmas
.

僕はもうダメだと思ってた 愛は死んでしまったと思ってたんだ
でも君が現れた 君が僕の人生を救ってくれたんだ 本当だよ
君に感謝したいんだ
君といるとクリスマス気分になれるから

(全訳はこちら)
クリスマスソングのスタンダードになりそうな素敵な曲ですね。

オザケン復活には以前から注目(笑)していたわけですが、
クリスマス前に満島さんとのデュエットが発表されるとは!
胸がかきむしられますね。

さらにオマケ

すべてが神です。
が、タランティーノは評価しないだろう。

表情と玲瓏、そして重慶。その①

この文章は将棋とはほぼ無関係です。

秋に行われた直弼杯将棋大会で、K君のご両親と歌手のフェイウォン&三峡クルーズ話で盛り上がりました。フェイウォンは言わずと知れたアジアの歌姫。
三峡クルーズは有名な長江を下る旅で、私もK君のお父様も重慶から武漢までの船旅を体験しています。

そのフェイウォンが歌うMV。
重慶を舞台にした映画「从你的全世界路过」の主題歌です。
中国にまったくご興味ない方もぜひご覧ください。
なんとなくストーリーがわかるかと思います。
ネタバレはこちら
記事中「成都」→「重慶」の誤りです。

この夜景が美しい街が重慶です。
重慶は山をくり抜いたような立体構造の街。
かつて上海は魔都と呼ばれたそうですが、自分には魔都という名は重慶にこそふさわしく感じます。

そして女性警官(ライチ)役を演じているのが白百何(バイバイホー)さん。
役名が果物の「ライチ」。傾国の楊貴妃が好んだ果物…
この映画の本編を実際に観ましたが、彼女の表情の豊かさに胸を射抜かれました。
中国圏に綺麗な女優さんは星の数ほどいます。
白百何さんのあまりにも自然な表情はまるで玉石のように落ち着いた美しさで、唯一無二。
表情の魅力というものを白百何さんに教わった気がします。
金剛石(ダイヤモンド)のキラキラ感とは違います。
玉石のような輝きこそが「玲瓏」の意味らしいです。
「玲瓏」とは彼女の表情のような輝きなんだろうと勝手に納得しています。

さて、私が重慶に滞在したのはたった3日間。ただ三峡クルーズ船に乗る為だけの予定でした。
重慶到着後すぐに翌日の船を予約し1泊。翌日の乗船時に事件が起きました。
予約時に見せられた客室の写真とまったく違うのです。
過去に1年半中国に住んでましたのでそういうのは慣れてましたが、さすがに我慢できないレベル。
すぐに船を降りてチケット売り場でキャンセルを求め喧嘩していると、ちょっとだけ日本語ができる中国人の若者が間に入ってくれ、翌日の綺麗な船のチケットと交換できました。
劉さんという若者は田舎から出てきていて、近くの土産物売り場で働いているとのこと。
その後彼&同僚の若者たちに誘われて、近くの路地裏で人間関係がよくわからないコミュニティーに混じり夕食。家庭料理が次から次にどんどん出てきました。円卓を囲んでいる老若男女の仲間の中には、ビールをラッパ飲みして騒いでる若い警官もいました。
お金を払おうとしましたが「僕らはもう友達だから!」と劉さんに制止されました。
そしていい感じで酔っ払った我々は、タクシー2台で街に繰り出しました。
美化するなら李白の「少年行」、こっちも近いかな?王維「少年行」。(笑)

20年前の中国はたぶん今よりも危険が多く、私は基本的にあらゆる危険を避けて過剰なくらい安全に行動するのが常でした。中国滞在中、特に旅行中は常に心はファイティングポーズ。
この日は趙さんたち若者と意気投合し、 なぜか勢いに任せて風の吹くまま(笑)

重慶の一番高い場所に行こう!と言われ夜景の綺麗な場所に。
記憶では、上記の映画に出てくるラジオ局のビルの屋上よりもはるかに高い場所でした。
そんな場所なのになぜか洪水の記念碑が。
記念碑には、ここまで水位が上がったというラインが引いてありました。
恐るべし長江…

(つづく)

オマケ
白百何さんの切ない失恋ソング。
「擦肩而过」(すれ違い)
歌心もある人だ。

私の拙い中国語力で超訳すると

「すれ違いは、必然で避けられない。
深く愛し合っている時はそんなことは考えなかった。
愛し合っている時はすべてが幸せで素晴らしかった。
別れようの一言で何もかもが終わってしまった。
そう、すべてはすれ違い。」

てな感じでしょうか?

「幸福的眼泪 是最最温暖的珍贵」
幸せな涙が、何よりも何よりもあたたかくて貴いものだった。
この「最最」(ヅイヅイ)の歌い方が泣かせるのです。

将棋親が街に放たれた。(食レポ:「SnowCafe」)

仕事場を自宅に移してから引きこもりがちだったので、これからは積極的に街に出ようと思います。
ですが外はもう冬ですね…

以前T下君のお母様にお尋ねしてご存知なかった、おそらくご近所にあるはずのカフェを発見しました。
SnowCafe」さん。
シフォンケーキとコーヒーがメインのカフェ。

オーナーの渡辺さんは工学博士で「水」の研究者です。
元々は「雪」を研究されていたとか。だから店名が「Snow」なんですね…
渡辺さんは科学的に美味しいシフォンケーキを研究されていて(冗談ではありません!)、以前とあるカフェでご一緒し試作中のシフォンケーキをいただいたことがありました。
渡辺さんがケーキを作り始めるきっかけになったエピソードは、心温まるけれど哀しいお話。
涙でタブレットが滲んで、この先はとても書くことができません。

偶然知り合いのAさんがはたらいていることを知り、初めてお邪魔致しました。
「荒木新保」という地名が春江の方だと勘違いしていたことにも初めて気づきました。
こんなに家から近かったとは…
この記事は、新潟の杉山さん(スィーツ好き)をピンポイント爆撃する目的です。(笑)

写真はシフォンケーキのプレーンをカスタマイズしたもの。
・バニラアイス・MIXベリー・ブルーベリーソース・粉糖・ホイップクリーム
コーヒーは自家焙煎。
期間限定のクリスマスブレンドとケニアをいただきました。
何もかもが美味しい。完璧です。
Aさんがドリップしたコーヒーを飲むのは何年ぶりだろうか…

古民家を改修した店内は、クリスマスソングが流れてホンワカしていました。
寒い心が癒された気がしないでもないです。
バツイチ子持ちのくたびれたおっさんの心を癒すには、あと何かが足りない。
実に欲張りなおっさんです。

もちろん将棋を指してるおっちゃん達も居ませんでした。

Aさんには、もし将棋を指すならタブレットで!と釘を刺されましたので、みなさまご注意下さい。


スーパーゴールデン回り将棋大会

前もって言っておきますが、この記事は読むに値しませんので読み飛ばしてください。
誰かに伝えたいわけでもなく、ただ書きたいだけなのです。

表題は、自分の人生を狂わせたかもしれない高校時代の黒歴史。
高一の文化祭で、我が囲碁将棋部が開催した競技の1つでした。
各地域のローカルルールを集め競技性を高めた回り将棋、それが「スーパーゴールデン回り将棋」。
ネーミングは、「うる星やつら」に登場したヒーロー「スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアキッド28号」から着想を得ました。
(高文連のK先生、覚えていらっしゃいますか?)

私は誰も成り手がいない部長役を引き受け、その当時もいきがかりで運営していました。
たしか文化祭では、数万円の出展費が学校から支給されました。
このお金をなんとか打ち上げ費用に全額ロンダリングできないか考えた末、以下の作戦に。

・支給された出展費はすべて賞品(図書券)とする。
・囲碁将棋に関係する競技を複数開催し、全競技で部員が上位を独占する。
・ゲットした図書券を換金し、文化祭の打ち上げ費用にする。

覚えている競技は、
将棋、囲碁、はさみ将棋、山崩し、連珠、碁石つかみ取り、スーパーゴールデン回り将棋。

たしか作戦は八割くらい成功しました。
(翌年は碁石つかみ取りのスペシャリストが入部し、ほぼパーフェクト。)

では黒歴史とは何か?
それは文化祭前に起こりました… <つづく>

なぜ突然高校時代の思い出を語り出したかと申しますと…
数日前に横浜に住む高校時代の友人(実は中西さんの幼なじみでもある)宅に同窓会の案内状が届きました。
その中に直筆の手紙が同封されていました。
送り主は同窓会役員の旧姓Mさん。
彼女は高校時代、学年一のマドンナでした。
男子はMさん派とTさん派が主流でしたが、私は少数派のNさん派。
Mさんはポニーのようで、Nさんは荒馬でした…
(上記の黒歴史は、荒馬Nさんに「囲碁将棋部には非協力的にすることに決めたの!」と言われてしまった事件。)

そのポニーMさんにどうしても伝えたいことがあり、友人から連絡先を聞いてメールしました。
30年来の恋心の告白!ではありません。だってNさん派だったし。(しつこい。)

実は、息子ゆうやは彼女と血縁があるのです。
どういう事かは想像してください。簡単な話です。
それをMさんに知らせると、たいへん驚かれました。
自分も偶然その事実を知った時には、かなりの衝撃がありましたから。
だって学年一のマドンナですよ!自分は荒馬Nさん派でしたが。(あー、しつこい)
Mさんにもそれを言いましたが、「そこは俺はM派だったと言うべきところでしょ!」と叱られました。
あのポニーがこんなこと言うようになるわけですから、月日の経過は残酷なものですね。(笑)

旧交を温め合い、息子が将棋に頑張ってることを話すとこんな返信が。

「1年9組の隣に囲碁、将棋のお部屋なかった?
お昼休みに、○くんが仲良しさんと楽しそうにしてたのを覚えてます。
才能があるのが羨ましかったです。」

才能云々は彼女の勘違いなわけですが、そういう風景が彼女の記憶に残っていたことに驚きました。
実際は、スーパーゴールデン回り将棋でもやっていたのでしょう…

つい最近、当時を追憶しさらに妄想を広げてある俯瞰した風景が構築されたのですが、それは勿体無いので書きません。
ちらっと、ある人に話しましたが…誤配したかも。

ほら、読むに値しなかったでしょ?

Mさんが近々教室に見学に来ると仰っていて、再会が楽しみです。
たまたまですが、川井社長ご夫妻が懇意にされているお宅に嫁いだそう。
世間は狭いですね(笑)

「誤配」について考える。

人文系の学問に興味がある方でしたら、東浩紀の名と『弱いつながり』『ゲンロン0観光客の哲学』(毎日出版文化賞受賞)『存在論的、郵便的』『一般意志2.0』などの著作は耳にしたことがあるでしょうか?

彼の最近の仕事の重要なキーワードは「観光客」(観光客・旅人・村人の三項図式)と「誤配」。
どちらも寅さん映画の面白さにつながるのですが、残念ながら研究者でも無い私が語り得るテーマではありません。興味のある人は著作を読んでみてください。
寅さんは「旅人」を偽装した「観光客」だと言うのが私の結論で、偶然にも寅さん第9作において我が町でロケされた駅舎(廃線になった永平寺線京善駅)での会話シーンが示唆的です。
(下に動画のリンク、吉永小百合さんがマドンナです。)
旅先では「旅人」(移動し続ける根無し草)を偽装した「観光客」(帰る場所がある無責任な旅行者)。
柴又に帰れば「村人」(共同体に属した定住者)に戻る、それが寅さん。

「誤配」について私見を。
東の師匠柄谷行人は「交通」という概念で、コミュニケーション等根源的な人間の活動について語りました。
自分も学生の頃、柄谷を読み漁りました。
将棋に深く関わるようになった最近は、柄谷の有名な「教える-学ぶ」という図式が将棋の駒落ち指導対局そのものだと感じていました。上手と下手のお互いの非対称的な関係性が、今では手垢のついた感のあるワード「他者」そのものだと。

東は「交通空間」ではなく「郵便空間」を提唱しています。
「郵便空間」では「誤配」(配達間違い)や「遅配」(配達遅れ)が連発する。
そういった配達のエラーをシステムの不完全性として忌み嫌うのではなく、「誤配」すなわち配達の失敗という予期しないコミュニケーションの可能性を希望とみなすことこそがビビッドで人間的な営みである、と自分は理解しています。

将棋を「郵便空間」と見なすと非常にわかりやすく、「誤配」(お互いの勘違い)の連続でもすばらしい棋譜につながることもあり、「誤配」は(感想戦で)事後的に確認し合わないと起きたことすら気づかない。
定跡をなぞり続けるだけの対局では「誤配」は起きないが、定跡を外れるまで新しいことは何も生まれません。

以前紹介した小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」ではまさに郵便による対局(チェス)が行われました。
ミイラとリトルアリョーヒンの哀しい結末はミイラの意図的な愛のこもった「遅配」が生んだもの。
その「愛のこもった遅配」というメッセージの意図は伝わらず、残念ながらリトルアリョーヒンに「誤配」されたわけです。(ややこしい)
この物語においては「誤配」に希望があったのかどうか難しいところではありますが、「誤配」の事例としてとても比喩的です。

そして、寅さんの恋は「誤配」だらけ。
「誤配」の連続で盛り上がり、結局最後は旅に出てリセット。
旅先では「旅人」を偽装しているが本質は「誤配」の種となる「観光客」。
また熱い恋がスタートし「誤配」を繰り返す。
素敵だ。

将棋もネットもSNSも「郵便空間」。

将棋の対局においては多くの場合、指し手の意味が相手に正確には届きません。
勝負の世界なので届かない方が良い場合も多いでしょうが…
またネットやSNSを介すると、真の思いが届くべき人に届かず、相手への思いやり・将棋の普及や将棋界への貢献という強い思いが逆に攻撃ととられることも。

より深く理解しあえれば解決するのか?
たぶん「誤配」を楽しみ受け流す心の余裕が必要なんでしょうね。

「敵は我にあり」でしょうか…

嬉しいことと残念なこと

嬉しいニュースと残念なニュースがある。どちらから聞きたい?
と外国映画の台詞のように書き出してみました。

嬉しいことは、当教室の子供たちがみな熱心でどんどん強くなっていること。
息子が多面指しでは中西六段や田中幸道先生に平手で度々勝利できるようになってきたこと。
もう一つはチャーシーウォーダミィーミィー。(漢語)

残念なことはたくさんありすぎて…
沈黙は金。

だがどうしても告知しなければならないことが一つ…

と勿体つけて、後ほどアップします。
どこまで説明していいのか悩んでいます。

モヤモヤが消え去りました

人類学者と振り返るAIとの激闘史。そしてAI以降の“人間”とは?【一橋大学准教授・久保明教氏インタビュー】 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/kubo_ai
最近モヤモヤしていたことに光が射しました。
大げさか。

中沢新一、フーコー、ニーチェからポケモン、月下の棋士、マインクラフト、ISISまで援用して、人間を置き去りしない現実的な視点で、将棋AIについて語っています。
前提には、久保氏の将棋愛があるのでしょう。

2ページ目では、

現代将棋は、江戸から続く伝統文化としての側面と、昭和初期に確立された公平で熾烈な頭脳スポーツという側面、その二つを独特の仕方で結びつけたものだと思います。

と語り、将棋の二面性を前提に論を進めています。

このブログにも書いてきた「芸事としての将棋」と「競技としての将棋」ですね。
将棋に両面あることを忘れて特に競技だけに偏ることは、非常に乱暴だと実感している今日この頃です。

ソフト研究に身を投じてる千田翔太六段の試みを「翻訳作業」と。
私は常々「人柱」だと思っています。

ひと昔前に人文科学で「他者性」について論考されることが多かったように思いますが、将棋ソフトは人間の「線」の思考とは違い「点」で捉えるあたり、究極の「他者」。「将棋ソフト=他者」との危ういコミュニケーションは、人文科学の美味しい研究テーマになり得ますね。
柄谷行人のように「他者」とは教える-学ぶ関係なのか、立川健二のように「他者」は誘惑しなければいけないのか。そんな20年以上前の発想では、現実は捉えきれないのかも。

易々と翻訳されては「他者」ではあり得ない。

「芸事」「競技」に続く第三項として、「コミュニケーションとしての将棋」について考えていくべきだと思います。

将棋は、文系か理系か

昨年アカデミックな場を中心に、文系の学問が必要かどうかという議論が激しく行われたように思います。
人文知問題で有名なのはソーカル事件。
適当に書かれた人文系のインチキ論文が、なぜか高評価されてしまったという事件です。
文系はエビデンスの要らないテキトーな学問だというイメージがつきまといますが、歴史を辿れば人文知の土台の上に自然科学が乗っかっているということは否定できないかと思います。

さて、将棋について。
「緻密に指し手を読まないといけない将棋は理系向きだ」というのは当たり前すぎてつまらない意見。
もう一歩踏み込んで、「文系的な能力は将棋に必要ないのか?」ということを最近考えています。
将棋を競技としてだけ捉えたら、競技の場では文系的な能力はあまり必要ないのかも。一方、将棋を学んでいく場・楽しむ場においてはむしろ文系的なセンスが必要なのではないでしょうか。

将棋界は一般愛好家が支えていて、競技以外の楽しみも多くあります。
競技以外の場では、何もかもが理系的に割り切れるものではなく、その無根拠性が「文化」と呼ばれる部分だと思います。語義としては、「文化」に対して理系的な実利を備えたものは「文明」と呼ばれます。
競技以外の場でこそ将棋文化が育まれると言うと、言い過ぎでしょうか。

また、囲碁は文系向き、将棋は理系向きという説があるようです。
さらに昨日の囲碁将棋チャンネルの番組では、飯島先生が「居飛車は理系向きで振り飛車は文系向きだ」という説を紹介されていました。

皆さんはどうお考えになりますか?

聖・俗・遊(カイヨワ)と将棋

聖・俗・遊
「遊」について研究した社会学者カイヨワによる三項対立図式です。
文系学生の必読書とも言える浅田彰 大先生「構造と力」でも、たしか触れていましたよね。

「宗教による聖なる空間」と「そこから外れた俗な空間」の二項対立。
仏教では僧で無くなることを「還俗(げんぞく)」と呼びます。

個人攻撃が始まる訳ではないですよ。意識下ではおそらく。(笑)
大河ドラマの井伊直虎も還俗したようです。
坊主ネタではございません。ここから将棋の話。

聖と俗の対立だけではあまりにもスタティック(静的)。
実際の社会はもっとダイナミック(動的)なもの。
聖と俗の単純な二項対立ではすくい取れない現実がありまして、カイヨワは第三項として「遊」を設定しました。

ただの「遊び」では俗に過ぎないわけですが、もっと粋な遊び=浪費ではない有意義な遊び、のことでしょうか。

将棋に適用しますと…
「聖」=競技としての将棋←棋力を高める目的
「俗」=縁台将棋(賭け将棋とか子ども将棋)←ストレス発散?、ギャンブル?
とすれば、「遊」に対応するものは?

「遊」なる将棋とは何か?
自分にとっての興味の中心は、ここなんですよね…
石内先生が仰る「コミニュケーションとしての将棋」とか?
競技とは異質な「芸事としての将棋」?

将棋をコミニュケーションの図式に当てはめると、さらに面白いことが見えてきます。
それはまた次回に。

そうそう、あまり有名ではないかと思いますが、かつてこういう人がいたんですよ。まさに聖も俗も拒否し「遊」に生きた人。

恋愛即興詩人 ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォ

その人生は、なんとなくですが先日空港で非業の死を遂げたあの人とも重なります。

3月のライオン香子役 有村架純の賛否

ネット上では、香子役の有村架純さんだけ原作のイメージに合わないという批判が。

実は何を隠そう、私は3月のライオンの原作を読んでおりません。
有村架純さんが清純派だとも思えませんので、批判の正否はよく分かりません。

同じ羽海野チカさん原作の「ハチミツとクローバー」映画版で、低身長キャラのはぐちゃんを演じたのは身長160cmの蒼井優さんでした。
原作を読まずに先に映画を観たこともあり、当然違和感は感じませんでした。

漫画の実写化といえば、加山雄三のブラックジャック、高倉健のデューク東郷(ゴルゴ13)もありましたし、きっと何だって良いんですよ。

オザケン復活!と将棋

表題に無理があります。

さて、先週のMステで小沢健二さんが復活しました。
自分はまったく小沢健二さんのファンではありませんでしたが、復活を茶の間で生で観ました。歴史の証人になれた気分です。
ネットではオザケンがオジサンに、と話題沸騰。

20年前チャラチャラしてなんとなくその姿が様になっていたオザケンが、オドオドした表情でまったく様になっていない復活映像を観て、ずっと封印していた何かが目覚めました。

そう、自分はたぶん全盛期のオザケンの曲が好きだったのです。流行り物を受け容れない生き方を貫いていた若かりし頃、流行っているというだけでオザケンを認めたくない自分がいた訳です。岡崎京子さんやオリーブ少女達と共にオザケンに熱狂すべきでした。
今改めて聴くと、オザケンは清志郎並みの優れた詩人だと感じます。

 

ネットで衝撃を受けた言葉が、「オザケンは星野源をシメるために復活した」というもの。オザケンファンからは同列に語って欲しくないという批判も。
その延長で、宮崎駿が引退撤回したのは「君の名は」の監督 新海誠をシメるため…という言説まで登場。

さて、将棋からずいぶん離れてしまいました。

オザケンのような渋谷系(死語)の将棋を指したい。

強引すぎ…

オザケンと星野源の年齢に対応するプロ棋士は、中川大輔八段と片上大輔六段。
この二人に繋がるとは、タイムリーですね…

ITSNプロジェクト

将棋の普及の為に何かスローガン的なものをと思い、提案させていただきます。
名付けて

「ITSNプロジェクト」

I…一般
T…大会
S…小学生
N…20人
プロジェクト…計画

県内一般棋戦に小学生を20人参加させようという計画です。
例えば、A級(2段以上)/3人、B級(1級以上)/7人、C級(5級以上)/10人。
もちろん参加するだけでなく、予選通過を狙えるレベルで。

現在は小学生全体で参加者は10人弱です。今年度は6年生の競技者が多いので来年度は一気に小学生が減ります。すぐに20人というのはもちろん無理です。
実はここ最近、低学年の競技者がたいへん増えています。ですので、2〜3年後には当教室以外の生徒さんも含めて、小学生20人以上を参加させることは十分可能だと思います。

小学生の伸び代だと、C級は1年〜1年半で十分抜けられます。
そう考えると、1年に5人ずつC級参加者が増えたら目標は達成できます。

ITSNですが…
I…石内奈々絵先生、T…田中幸道先生、S…??、N…中西六段、中屋六段 という説も。
Sは誰なんだろうか?

坂井将棋クラブで指導してる坂本さん?
あわら将棋クラブの清水五段?
勝山将棋クラブの酒井五段?

川井社長の名前は「三郎」!

抑制の美

稀勢の里が優勝しました。横綱昇進確定のようですね。
彼は勝っても負けても表情を変えないように親方から厳しく指導されていたそうで、白鵬の連勝記録を止めた一番でも、まったく喜びを態度に出さず勝ち名乗りを受けたそうです。負けた白鵬も堂々としていたとか。
まさに勝って驕らず、負けて腐らずの精神です。
稀勢の里が子どもの頃「自分は天才ではない。努力するのみ。」と文集に書いたそうです。立派ですね。
相撲界はとにかく「抑制の美」を大事にするとのこと。
ぐっと抑えるところにこそ、美しさが宿るわけです。

ここまではワイドショーの受け売りです。

小学生の頃、愛知に住んでた親戚のおじいさんが輪島や荒瀬と言った関取のタニマチでした。当時はよほど羽振りが良かったのでしょう。
一度家に関取衆を招いた際、当時関脇くらいの輪島関はひたすら寿司を食べ続けていました。
そんな相撲取りたちになんの興味もなかった親戚の小学生たちは、座敷にあったテレビで「女王陛下のプティアンジェ」というアニメを観ていました。「名探偵コナン」のような謎解き物です。いよいよ事件が解決するという場面で、突然輪島関が無言でガチャガチャとチャンネルを変えてしまいました。それ以来、相撲取りにあまり良い印象を持てずにいます。

脱線しました。
そうそう、「抑制の美」です。

本題ですが、将棋でいつでも派手に駒を盤に打ち付けたり、時計を親の仇みたいにバシーン!と叩く人がいます。
こういうのは対局相手をイライラさせますし、美しさを感じません。
粗野な振る舞いは、将棋に向かう心の表れではないでしょうか。

当教室では将棋が上達するにつれて、なぜか駒音が大きくなる子が増えていくような気がします。個人的には、棋力とマナーは比例してほしいと思います。

やたらと音を立てる行為を「元気があってよろしい!」と黙認すべきなのか、癖になる前に厳しく注意すべきなのか。

皆様の御意見をお聞かせいただけますでしょうか。

昨日お風呂で

息子ゆうやが学校で前髪の長さを注意されました。
なかなか床屋に行く時間がなくて。

「先生に、前髪だけでもお婆ちゃんに切ってもらいなさいって言われた」と。
例のごとく、シングルファーザーでも前髪くらい切ってやれるよと意地になり、お風呂でT字カミソリを使ってカット。

天彦ヘアーにしてやりましたよ。

お風呂と言えば、先日の王将戦で県将棋界の重鎮大滝さんから昔話を聞いている中、「奈々絵ちゃんは弟子なんだけど、あの子は昔から詰将棋が強くてさ、お風呂でも」というところで他の人がやってきて話が途中に。

まさかお風呂でも詰将棋を解いていたのでしょうか?
「野球狂の歌」で、水原勇気が変化球の握りを風呂で練習していたようなものですね。
それくらいやらないとドリームボールは投げられませんね。

お口直しに「玲瓏」の話。

実は昨年秋より「玲瓏(れいろう)」という語について調べています。

「玲瓏」はご存知の通り羽生三冠が揮毫することでも有名な言葉で、「八方玲瓏」という四字熟語もあります。キラキラ輝く、透き通るように美しい、という意味とされています。
将棋界では禅語を揮毫することが多いようですね。
将棋会館の掛け軸の「平常心是道」や「行雲流水」なども禅語。
禅語に「玲瓏八面生清風」がありますから、羽生三冠の場合はここから来ているのかもしれません。

歴史をさかのぼって漢詩の中の「玲瓏」を調べてみると、時代によってニュアンスが違っているようです。

有名な漢詩としては盛唐の詩人李白の「玉階怨」
玉階生白露
夜久侵羅襪
却下水精簾
玲瓏望秋月

水晶の簾を通して見た秋月は「玲瓏」だよね!って感じです。

さらに、時代は下って中唐の白楽天の「長恨歌」後半にも
楼閣玲瓏五雲起
という表現が。

楼閣が「玲瓏」としてるよね!

この二作以外にも、秋月(秋天)、楼閣、という道教的風景に「玲瓏」という語は相性が良いようです。

李白は詩仙と呼ばれていますが、実はこれは清時代からのようで、本来白楽天が詩仙と呼ばれていたという説があります。とは言え「仙」は仙人の「仙」ですから、仏教徒の白楽天よりも道教にコミットしていた李白の方が詩仙の名にふさわしい気がします。
「長恨歌」は玄宗皇帝と楊貴妃へのトリビュート作品なので、彼らが帰依していた道教的な世界観が貫かれています、たぶん。

ちなみに、李白と同時代の杜甫は「詩聖」、王維は「詩仏」と呼ばれています。杜甫は儒教、王維は仏教にコミットしていました。
道教、儒教、仏教は三教と呼ばれ、玄宗皇帝と楊貴妃の時代の長安は三教とも信仰の自由がありました。長安はシルクロードの出発点ですから、キリスト教系の信者も住んでいましたが信仰は自由で布教はダメとかいうルールもあったとか。意外に思われるかもしれませんが、ちなみに今の長安=西安にもキリスト教の教会があります。自分も滞在中、中国人の教え子に誘われて城壁の中のたしか東大街にある教会のクリスマスミサに行った事があります。西大街には回教徒が多く有名なモスクもあります。

儒教は孔子の教えで生真面目な生き方を推奨。道教はクソ真面目な儒教へのカウンターとして生まれ、仙人に憧れて隠遁し清談に耽りながら音楽や碁を楽しむ。三国志の後くらいの時代に実在した竹林の七賢なんかはそういう生き方を実践し、今で言う危険薬物なんかも使っていたとか。サイケな連中です。
唐時代の道観(道教の寺)の中でも、女道士の観はほぼ遊郭のような場所と思われます。興味がある人はぜひ森鴎外の「魚玄機」をお読みください。魚玄機は実在した女性の名前。彼女の詩の師匠温庭筠も含め、実に破天荒な人たちです。

仏教は割愛。

さて、最近は杜甫と王維の詩の中にも「玲瓏」を探しています。
自分が学生だったら「三教文人の詩における玲瓏についての考察」などというタイトルで論文にしたいところですが、漢文の素養が有りませんので無理ですね。

さて、話をどうまとめるかですが…

三教と言えば空海の「三教指帰(さんごうしいぎ)」。この文章は物語仕立てで、三教それぞれの達人がドラ息子の矯正にあたり仏教の僧だけが成功する。だから仏教最高!俺は仏教でいくぜ!という空海の決意をまとめたものです。(だいたい合ってると思います…この「だから」は尾崎豊のI LOVE YOUの歌詞「この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい、だからお前は子猫のような鳴き声で」の「だから」くらい飛躍があるかも知れません。)
空海はその後、かなりの力技で遣唐使の一員となり唐の長安に向かうわけです。

空海と将棋、繋がると思いますか?
空海が唐から持ち帰った曼荼羅が将棋盤のようだ、というオチではありません。

映画「聖の青春」を観た方、村山さんを殴った弟弟子の江川君を覚えていますでしょうか?
演じていたのは若手俳優の染谷将太さん。
染谷さんは園子温監督の「ヒミズ」に主演した実力派俳優。
なのに近日公開の劇場版「3月のライオン」では、わざわざ特殊メイクをして二海堂君役に挑みます。
将棋映画に続けて出演とは…

さらに!
来年公開の日中合作映画「空海KUKAI」では、まさに空海役で長安を舞台に白楽天とともに事件の謎を解くとのこと!

空海と将棋が繋がりました。

この映画は腐女子向けのバディー物と推測されますが(?)、ぜひ白楽天の親友元稹と、彼の遠距離恋愛中の恋人、詩妓の薛濤を登場させて欲しいと願っております。

実はこの薛濤、男性詩人に劣らぬ詩の才能を持ち、当時の文人たちのアイドル的存在でした。将棋に例えるならまるで全盛期の石内先生でしょうか。石内先生が考案した「きょうりゅう将棋」は紙製。薛濤は「薛濤箋(せつとうせん)」と呼ばれる美しい色紙を発明したことでも有名です。

以上。

皆さま、良い初夢を。

対局に負けた時の言い訳(理由付け)

①相手が強すぎた。
②あり得ないミス(ポカ)をした。
③相手の戦形に慣れていなかった。(珍しい戦形を指された。)
④体調が悪かった。(不調だった。)
⑤自分の棋力が低い。(精進が足りない。)

他にもあるでしょうが、まずは謙虚に⑤を認めたいものです。
我が子にはそのように指導したいと思います。

小賢しい。

歳を重ねてくると、「小賢しいなあ」と思う場面が増えてきました。

大昔、親友が彼女の実家に挨拶に行った時、先方の父親から「小賢しい」と一喝されたことがありました。
当時はその話を聞いても頑固オヤジだなあくらいの感想でしたが、今当時を振り返ってみると確かに親友は小賢しかった。

「小賢しい!」と面と向かって言い放てるような大人になりたい。

お題

さて、「将棋カフェの常連」さんが書き手になってくださったので、更にブログ内容は多岐にわたるであろうと勝手に喜んでいます。ただの迷走かもしれませんが(笑)。カフェの常連さんは棋力、学力共に一般社会人としては最高クラス。最近はお会いする機会があまりありませんが、息子の将棋でも戦型リクエストすると器用に指しこなして頂けるのでありがたいです。子供の指導キャリアも多く、きっと示唆に富んだ記事を書いてくださると期待しています。なお、個人的には将棋ではない話を期待しています。😁

他にお題として、コンピュータ将棋関係も外せないでしょう?teraさん、どうですか?橋本先生も本まで出版されたようだし。(今回の本は将棋連盟の体質論といった方が良い様子ですが。なお、僕は読んでません)

ところで、石内先生も何か書きませんか?ご自分の将棋半生記をフィクション風味でとか。

某学生くんもどうすか?若く熱い意見を暴走させてみるとか。「常識とは18歳までに身に付けた偏見である」byアインシュタイン

 

父子のこと。

昨日野々市に向かって運転中、猛烈な既視感が。
その感覚を辿っていったら、これでした。

映画「北京ヴァイオリン」です。NHKでドラマ版も放送されていました。
有名なチェン・カイコーが監督し、本人も奥様も出演しています。

ストーリーは…
田舎で暮らす父子。息子は母の形見(真実は…)のヴァイオリンで才能を開花させる。息子をヴァイオリニストにさせる為、最適な環境を与えようと北京に引っ越す。
ラスト、父は息子のことを想うがゆえに一人北京を去ろうと北京駅に向かうのだが…

邦題は「北京ヴァイオリン」ですが、原題は「和你在一起」、英題は「together」。
我が子の才能を伸ばしてやりたいという親心と、その滑稽さ。
この悲喜劇は、我々が熱くなっている将棋にも通じますね。

登場人物は皆魅力的で、北京で出会った江先生と莉莉は少年をあたたかく見守ります。とにかく泣けます。

余談ですが父子の物語と言えば、「北京ヴァイオリン」の脚本家 薛暁路(シュエ・シャオルー)さんがメガフォンをとった映画「海洋天堂」。主役はカンフーで有名なあのジェット・リー。脚本を読んで感銘しノーギャラで出演したそうです。言われなければジェット・リーだと気づかないほど、くたびれた中国の田舎の父役を好演しています。撮影はウォン・カーワイとのコンビで香港映画の一時代を築いたクリストファー・ドイル。そして音楽はジブリ映画で有名な久石譲。豪華すぎですね。
死を宣告された父が障害のある息子の為に何ができるか、というストーリーです。こちらも登場人物が皆魅力的。中国の古き良き連帯感が美しい。そしてドイル独特の映像美が炸裂しています。

お金は出ませんが

一部とは言えプロスポーツ選手が数億円ものお金を稼ぐ時期になりましたね。昔、サイバラ先生の漫画で、高卒だったりする彼らと比べ、無収入に近い状態で素粒子物理学を研究するオーバードクターの息子を嘆く父 というものを読んだ記憶がよみがえります。好きなことをして稼ぐのが一種の理想ですが、大多数は出来ることをして稼ぐのが現実でしょう。稼がないで良いなら、なんだって勝手にやればいいんですけど。

さて、ブログを書くことも大多数の人にとっては全く稼ぎにはならないでしょう。不特定多数の方になにかしら伝わればいいな。逆にいえばある特定の人に言いたくは無いな。ということを書いているんでしょう。最大の読者は自分自身だったりするはずです。(なので、言葉足らずもよく発生する)

世の中に大きなニーズもないことを淡々と続けるのもなかなかに大変です。ということで、当ブログは執筆者を随時募集しています。ブログ始めてみようかなあという人と、もう自分のブログたいして更新してないやという方にとっては悪くないと思うんですけど。条件は、いきがかりさんさえ拒否しなければ(笑)。子供将棋に触れる機会がある方なら良いんではないでしょうか。将棋ネタは10パーセント以上もあれば良いでしょう。

U坂さんは T様と私の秘密の部屋 とまでは言わないまでも T棋士を訪ねて3000里 紀行でも不定期連載してもらうとして、

群馬の某ブログ更新してないなあ(笑)

高山のA先生も、いつまでも一人でアングラは怪しまれますよ(笑)

親子ブログの僕的王道は今は九州のHarukiくんとこかなあ。対局内容に偏らないのがいい。全く面識御座いませんが。九州ネタほしいな。たまに投稿とかでも。。。

ののいち奇襲。。。

メーテル。。。

 

数少ない例外は無視しまして

将棋が強くなるのに大事だなと最近思うのは、「素直さ」です。
教える側(大人)も人間ですから、素直な子には感想戦でたくさん教えてくれます。
感想戦もろくに聞かないで強くなれるはずがありません。
たまたま大人に勝ってもそれは勝負に勝っただけで、実は大人の方が深く将棋を理解しています。そういうものです。
ちょっと強くなったくらいで天狗になっているような子供の鼻は、親がへし折ってやるべきだと思います。

まずは①大人の言うことを素直に聞く。そして②自分の頭で考える。
この2つがセットだと思います。
控えめに言ってますが、スポーツでも芸術でも何かを教わるのに、先生や大人の言うことを聞くのは当たり前。将棋は勝負事だから大人の言うことを無視したりワガママで良い、なんてことはあり得ません。

自力だけで強くなれる数少ない天才児は例外ということで。
残念ながら、自分はまだ一人も出会ったことがありません。

我が子を天才と思い込んでる親には出会ったような気がしますが、思い出せない…
なぜか記憶が欠落しているようです。
PTSDでしょうか…

必殺技と将棋について

昔からスポ根マンガやアニメ・ドラマの定番は必殺技。
主人公が特訓によって必殺技を身に付け、ライバルがその対策をして必殺技を破る。もしくはその逆のパターンもあり。

「巨人の星」では、星飛雄馬が完成させた大リーグボール1号を破るのに、ライバル花形満やオズマは苦心する。花形に打たれてから飛雄馬は改良形を編み出すが、最後は父一徹のわが子への裏切りとも言えるオズマへのアドバイスにより打ち砕かれる。さらに大リーグボール2号3号の戦いへと続いていく。

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ドラマ「燃えろアタック」では、主人公ジュンの必殺技「ヒグマ落とし」(空中で一回転してスパイクを打つ)をライバルのユカが「ヒグマ返し」で破り、後に二人の合体必殺技「ダブルヒグマ落とし」が完成する。

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ダブルヒグマ落とし

 

 

 

 

リアルなプロレス団体の闘龍門(現:ドラゴンゲート)では、ヨッシーノ(現:吉野正人)とクネスがライバル関係だった。ヨッシーノの必殺関節技「ソル・ナシエンテ」(スペイン語で「日は昇る」の意味)に対して、クネスは「ソル・ノチェセル」(スペイン語で「日は沈む」)を編み出す。大舞台で「ソル・ノチェセル」をとっさに切り返してヨッシーノが勝利するが、その技は「白夜」(日は沈まない)と名付けられた。
クネスは元々ダークネスドラゴンと言う名でドラゴンキッドという人気レスラーの刺客として登場した。キッドの「クリスト」(キリスト)という相手を磔(はりつけ)にする技に対し、途中で切り返す「ユダ」と言う技を編み出した事もある。(このネーミングセンス!)

クリスト
クリスト
ユダ
ユダ

 

 

 

 

 

さて、本題に入ります。

将棋の定跡も、必殺技を破ってまたさらに破ってという相克(そうこく)の歴史です。
先日のチャリティ将棋大会のB決勝でゆうやと工藤君が対局した将棋は、「角替わり」の相克の歴史を知る人にはとても面白い将棋でした。詳しくは数ヵ月後に福井新聞に観戦記が載った際にご覧ください。簡単に言えば、有名な「42173」という定跡を工藤君が研究で破ったということです。たぶん。ゆうやも悪手と言えるほどの悪手は少なかったようですが、初見で正確に対応するには厳しく、一方的に潰されました。伏線としては、先日の澤田真吾杯S級決勝でゆうやが工藤君に角換わりで快勝したことがありました。本来中飛車のスペシャリストの工藤君が、角換わりを中心とした居飛車党にチェンジし、その努力が実を結んでリベンジしたのだと思います。

昨日、個人的に北國父さんから「なぜプロで相矢倉が減っているか」について質問されました。羽生さんがある講演で「ソフトが編み出したある新手で相矢倉が激減した」と言われたのが気になったそうです。
それについて、居飛車党の人は皆さんご存知のとおりだと思いますがこういう事情です。まさに必殺技・・・
「46銀37桂」という矢倉の必殺技に対して、後手がカウンターを狙い始め優位に。それに対し先手は穴熊で持久戦にするも、後手は森内流の端攻めで対抗。次に先手が宮田新手を編み出すが、ソフトにより後手のPONANZA新手が生まれ、また△45歩反発型で先手を理想形に組ませないと言う「そもそも論」的な発想の手も有効とされた。さらに最近では後手からの急戦策、居角急戦美濃なる厄介な戦法も生まれた。

教訓としては、「必殺技はいつかは破られる。」

ライバルにいつも同じ戦法で負けないよう、自分なりに定跡を勉強したり対抗策を研究しましょう!

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「棋力」の意味とは?

「棋力」の意味は、広義には単なる対局の勝率のことで級位やレーティングのことでしょう。
自分の感覚では、いわゆる棋力の内部(核)に《勝敗に直接反映されない見えにくい力》があるような気がしています。
オカルトではありませんよ(笑)

《直感的で感性的な思考》と《学習によって身についた知識》とのバランスをとるスタビライザーのような能力のことを、狭義の「棋力」と呼べないでしょうか?
前者(広義)を「棋力①」、後者(狭義)を「棋力②」とします。
ハメ手を覚えて勝率を上げたり、無理攻めを咎めきれない相手に対して攻め倒して勝っていても、勝ちは勝ちなので棋力①は上がったと呼ばれる状態なのでしょうが、棋力②は何も上がっていませんし、むしろ下がっているとも言えます。

夏の暑さでおかしくなってるわけではありませんので(たぶん…)、もう少しお付き合いください。

この棋力②は、なんとなくのイメージですが、これをどれくらい鍛えられるかによって最終到達点が変わってくるような気がします。(アマ初段で終わるのか、プロになれるのか。)
「勝ててはいるのだけれど将棋が粗い」「将棋がまだまだ子供っぽい」というのは棋力②の達成度が低い状態を言うのではないのでしょうか。
棋力②は、将棋にとっての美の問題=筋の良し悪し、に直結するのかも知れません。

棋力②なんて気にせず、勝ち続ければ(棋力①だけ意識していれば)それで良いという考え方はあるのでしょう。自分はそうは思いませんが。
私は、棋力②は身体性とも深く結びついていると思っています。
対局マナーを守り盤駒を丁寧に扱うことで、遠回りのようですが実は効率的に棋力②が育まれるものと信じています。
有段者と差し向かって緊張感をもって行う指導対局は、まさに棋力②を鍛える最高の場ではないでしょうか。

みなさまの御意見お待ちしております。

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